2011年8月27日土曜日

移転のお知らせ

 この度、震災の影響で住まいと事務所を移転することになりました。
予定外の引越しとなり、急な手配や段取りの悪さも手伝い、多くの方々にご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。それまでのアパートが解体されるということで、思いもかけず仮設住宅に身を寄せる方々と同じ立場となってしまいました。

 これを機に一緒だった自宅と事務所を分け、アトリエ&フリースペースとオフィスとして使います。
アトリエの方はいわゆる店舗付き物件というものです。古い物件ですが商店街の通りに連なっている場所で、ユニークな暮らしができそうです。ここを選択したのは不動産屋さんの対応が良かったことや、改造が自由であることが大きな理由ですが、住まいを地域に開く実験的な暮らしができそうだということ、つまりこれまでいくつかの設計した住宅のコンセプトを自分の生活で実証できるに違いない!という可能性があったからです。
 まだ倉庫の状態の店舗部分ですが、上映会、各種ワークショップ、講座、ギャラリーなど積極的に貸出します。

 事務所はアトリエから6kmほど離れているところですが、共同オフィスSODAという所に机を構えさせていただくことになりました。たくさんの建築家やクリエータが集う場所で、ゆるやかな人のつながりと楽しい情報が行き交う共有空間です。ここにメインのパソコンと書類・資料を置き、打合せや実務を行う場所として使わせて頂きます。

 こうして新しい環境で仕事と生活が同時に始まりましたが、暮らしのコンセプトとして「暮らしを誰かとシェアする」「自分たちと社会の間の縁側のような中間領域を広げていく」を求めています。これは震災以前から考えていたことでしたが、今も続く震災による地域や生活基盤の絆をもう一度確かめていく状況がより積極的に踏み出す契機となりました。
 慣れるまでの苦労や思わぬトラブルに巻き込まれる可能性もありますが、この暮らしの未来の向こう側に新しい時代の可能性があると確信しています。

 ひとまず10年ぶりに自転車通勤が復活するので、足腰を鍛えねば!

[新住所]

アトリエ 981-1224名取市増田1丁目1-9
オフィス 982-0816仙台市太白区山田本町1-15 SODA
※打合せ・ミーティングは「オフィス」にてお願いいたします。
※電話番号・メールに変更はありません。

ぜひ気軽にお立ち寄りください。

2011年7月23日土曜日

ブログ再開とこれまでの事

2011年3月11日から4か月半近く経過し、Twitterでは地震直後から状況を発信していましたが、更新が停まっていることでご心配おかけしました。
また様々な方面から励ましの声や支援を頂き、 改めて多くの方々との絆と支えによって生かされていることを強く温かく感じています。誠にありがとうございました。

震災以降言葉が体験に追いつかず、ブログの更新が滞ったままでしたが、記憶を風化させないためにもできるところから綴っていこうと思います。時間が経過したからこそ書けること、想うことを少しずつ更新しながら書いていこうと思います。

■震災直後
[事務所で被災]
地震発生時は名取市の自宅兼用の事務所で遅い昼食の後の微睡みの中にいた。 そこにテレビから地震警戒速報が流れ、異常な地鳴りに気づいて、玄関のドアを開けたところで烈震が到達。外れた浴槽の水で浴室はプールになり、窓の外では倒れた高架水槽から溢れる水が滝のように降り注ぐ。その向こうの家々の屋根からは茶色い土煙が舞い上がっていた。長い地震が一旦止み、ミキサーでかき回されたような室内を出て駐車場の車に入った。そとでは冷たいみぞれ雨が降り注いでいた。ラジオをつけるとアナウンサーは大津波警報を叫び続けている。ただならぬ事態に避難の身支度をする為、余震の中部屋に戻り、キャンプ用品、充電器、毛布などを家具の中から掘り起こした。1時間近く経過してからだろうか、眼下の川をのぞくと水が堰止まり、ゆっくりと上流に逆流を起こしていた。津波の影響かな?と考えながらも、河口から8kmあるこの場所で影響がでること自体異常なこと。だがこの時点では沿岸部があの過酷な状況になっていることなど想像つかなかった。

[避難所での5日間]
電話やメールがつながらない中で、唯一Twitterだけが通信可能だった。とりあえず自分の安否を投稿し、離れ離れになっている家族との合流を急いだ。日暮れまであとわずか。時間がなかった。信号が消えて渋滞する道や、ブロック塀が倒壊する道を通って、勤め先だった小学校に到着。そこで妻と合流し、離れた娘の保育所に急いだ。車中、ショックで動揺する妻に叱咤激励しながら只々娘の安否を案じて祈った。
娘は無傷だった。3人揃ったところで停電する街は急激に暗くなっていった。余震も頻繁に続いている。津波も状況が分からない。そこで万が一を考えて、自宅に近い私の母校、仙台高専に避難先を定めることにして向かった。
高台の校舎について目にした町の光景は忘れられない。東の空を赤黒く巨大な炎と煙が立ち上っていたのだ。頻繁に行き交う赤色灯とヘリコプターのエンジン音。底なし沼の様な不安から逃げるように、発電機で灯る避難所の食堂へ向かった。
避難所となった合宿所は布団が敷き詰められ、多くの学生や住民が不安な表情でラジオから流れるニュースに聞き耳を立て、余震の度に身を強ばらせていた。私たち3人は幸運にも一つの布団を確保でき、見知らぬ人々と隣り合わせて抱き合って眠った。

この避難所は食料・寝具・避難者の数などの点で穴場的余裕があった。また十代の学生が多く活気があり、コミュニケーション上手なお母さん達の活躍もあって、早くから自治意識が芽生えた。
また技術系の学校の強みで太陽電池があり、発電機のガソリンが乏しくなっても私達はテレビを見ることができた。初日に見た赤い火は遠くのコンビナートの火災からだった事も知る事ができた。
 震災後5日間の主な情報源はテレビ・ラジオ・新聞だが、ニュース画像では繰り返し津波が街を襲う映像が流れ、見ていて具合悪くなってしまい苦痛だった。携帯電話は初めの3日間はほとんど役に立たなかったので、安否を尋ねる為には公衆電話まで暗くて長い坂を歩かねばならなかった。
  奇跡的に実家の父母の無事が確認取れ、不便な避難所では幼い娘は足でまといになるから、と2日目の夕方に迎えに来てくれた。子供と離れ離れになるのは辛かったが、一日でも早く自宅と事務所を片付けて正常に戻るにはより良い選択だと考えていた。原子力発電所の事故が起こるまでは…。

[放射線からの逃避行]
3月14日、カーラジオから原発事故の深刻な事態を伝えるニュースが流れてきた。避難所ではすぐ目の前の仮設トイレに行く間でも雨に濡れないように呼び掛けがあった。食事の配給も2食に戻り、集団心理特有の不安の連鎖が拡がり、酒に走る人も出た。夜は暴漢が出没するという噂も流れ、灯火の無い街の中、かすれそうな電波でやり取りできるメールやTwitterでの励ましが支えとなった。

僕と妻は娘をより福島に近い実家に一人避難させた事を悔いていた。しかし一方で設計でお世話になった方々の所へ訪問できずにいる焦りもあった。娘を迎えに行くにも、仕事でまわるにしてもとにかくガソリンが無かった。ところが幸運にも近くに住む友人のDさんから給油の情報を頂いた。彼が足を使って得た貴重な情報だった。翌朝、僕らは携行缶をもってスタンドの行列に加わった。早朝にも関わらず、多くの人が押し寄せ、口々に不平不満をいう。しかし1時間程度で20リットルのガソリンを給油できた。車の燃費が10km/Lとしても、タンクの残量加えれば200kmは走られる。ひとまずガス欠に備えて自転車を車のルーフに装備して、夜、娘の待つ大河原へ向かった。信号だけが灯る暗い国道。遺体安置所となっているボーリング場の暗闇に合掌しながら南下していった。
愛しい娘との再会の喜びもつかの間、次なる行動の選択に迫られていた。白石市の知人は家族ともども連れて山形に避難した等とも聞くと冷静さを失いそうになる。しかし17日には電波状況が改善されてきて、知人友人の安否も徐々に分かってきた。特にダイヤモンドヘッド女川のオーナーのご家族の安否を一番心配していたのだが、パーソンファインダーで無事を確認したときは奇跡とすら思え、またあの街の生き証人みたいなお店が地震や津波に軋みながら「生命を守る」という最低限の務めを果たしてくれたことに感謝していた。
こうして電話やメールで設計した住宅などの被害もない事が分かり、僕らは放射線からの避難を優先することにした。実家を18日に出て、自宅で2晩明かし、更に予備の燃料を10L入手して福島から離れた北へと出発した。目指すはオンドルの家・狸庵。様々な選択肢はあったものの、娘の健康も心配だったが、余震が続き物資が不足する生活からの来る緊張から一時的に逃れたかったのが大きな理由だった。その点、狸庵がある岩手県奥州市は内陸部の為津波の影響はなく、ライフラインも復旧していた。何よりも家族同然の付き合いをさせて頂いていたオーナーご夫妻の気さくな人柄、そして暖かなオンドルがまだ冬の名残の残る季節には安心して身を寄せられる空間があった。
狸庵の周りの胆沢の風景は実に雄大で美しかった。美しすぎて、190km彼方で起きている悲劇がこの風景とあまりにもかけ離れている事が悲しくなった。数日後、小さなお子さんを持つ友人夫婦も狸庵に合流し、終わりの見えない不思議な共同生活が始まった。
美味しい食事と暖かな部屋、静かで豊かな自然の中で、昼間は子どもたちが合宿の様な雰囲気の中で、喧嘩したり仲直りしたり、泣いたり笑ったりして、夜になると大人たちは悩みを語り合ったり、今後の選択の議論を重ねた。
(4ヵ月後に分かったことだが、放射能の蒸気はこの遠い岩手の地にも流れこみ、皮肉にも宮城県南部と大して変りない線量だったらしく、僕らの避難の意味はなかった事になる。それでも精神的な救いとなった点ではこの滞在が間違っていなかったと思う。)
放射線の怖さとは、「見えない」ことだと思う。
一種の太古の呪術的な世界に似た恐怖に類するものではないだろうか。高度な数式の上に築かれたハイパーテクノロジーであるのに、制御の手立てが無く、祈るに等しい状況とは一体どういう事なのだろうか。オンドルも「炉」という点では同じだ。だが人類が長い時間掛けて積み上げてきた火への用心と備えと技術が違う。圧倒的にシンプルで構造が誰でも把握でき、快適さと共に労働や我慢という対価を支払う。生活に労働を排除していく方向に現代住宅は進んでいる。オール電化やソーラーパネルを僕は否定しないが、「誰の労働の上に利便性が保たれているか」という問いかけを今回の地震は洗いだしたのではないだろうか、と薪ストーブの炎を見ながら考えた。


■4月
[仕事の再開 ]
1週間岩手に滞在後、妻子を狸庵に残して宮城に戻った。高速道路での一般車通行が開放されたばかりで、極めてスムーズに帰宅することができた。しかし水道がでない、崩れた家財の中での単身赴任は人恋しく、夜は友人宅に泊まったりして気を紛らわせながら自宅の復旧を進めた。
しかし事務所の片付けと再建は一向に進まない。膨大なモノに囲まれて生活していたことをこれほど痛感したことは無い。大量のカタログを処分し、壊れた機器を廃棄した。また崩れた棚の下敷きになったこれまでの住宅模型のほとんどが事務所から消えた。ようやく片付いた机の上で「さて何から始めるべきか?」と一種の記憶喪失にでもなったかのように、集中できる環境にはまだ程遠い状態だった。
だが問い合わせがあった住宅の被災相談に出かけたり、設計した住宅の方々を訪問することで自分の仕事が根ざしている部分の意識を取り戻していった。

[水道のない生活]
妻子は4月1日に間に合うように戻ってきた。ようやく片付けで床が見えてきた自宅で再び3人暮らしが始まった。それに連れて水の使用量が増え、水道が出ない生活の不便さが顕になってきた。地震直後に高架水槽が倒れて以来、近くの小学校から汲んできた水タンクを階段で4階に運ばなくてはならなかった。
節水!節水!といっても限界がある。「もうちょっと大切に使ってよ!」と夫婦の口論もひんぱんに起こる。周りの住宅ではとっくに水道が回復していたので、傾いたままのタンクを放置している不動産屋への不満も高まる、とどうも雰囲気が悪い。その中ではお風呂を借りに訪問する友人宅でのお喋りが何よりの癒しであった。人は語り合える場があることで孤独から救われることを日々感じて生きていた。
この水道のない生活は4月28日まで続いた。

[女川へ]
震災から約1ヶ月経った4月13日、初めて女川町に足を運んだ。白石の丸秀酒店の阿部さんによる甘酒の炊き出しの手伝いを兼ねてだが、第一の目的は被災したダイヤモンドヘッド女川の岡さん一家を見舞うことであった。避難所となっていた小学校の校舎に向かうと、真っ黒に日焼けして精悍な姿の岡さんがそこにいた。お店の灯台漆喰を手がけた太宰さんも同行していて、ガッチリ3人で握手をして無事を讃えた。奥さんのお腹には臨月の赤ちゃんが宿っていて、知り合いから集めた女児の肌着やマタニティ用品を届けた。

 岡さんの案内で、お店が建っていた場所に向かった。そこに向かう道沿いにかつての町の面影はなく、土煙が舞う礫砂漠の風景に言葉を失った。対比して澄み渡る青い空と海が眩しかった。
 ダイヤモンドヘッドは、辛うじて土間の痕跡を残して跡形もなく消滅していた。砂利や漁具にまじり、壁に使っていた雄勝石スレートの板を数枚拾うことが出来た。調査で見た床下の空間が陽の下で顕になっている。重機のエンジン音が鳴り響く中で、記憶の破片を拾い集めた。
 ただひたすらに無念であった。悔しさに視界が涙で滲んだ。
 確かに人命に比べれば建物の命運は二の次かもしれない。だが素敵な店を作ろうと岡さんと夢を語り合った時間、地元の大工と真正面にものづくりでぶつかった時間、完成した喜びと、地域の人々に愛されていた記憶が一瞬で消えてしまったのだ。
 このような得も知れぬ衝撃に貫かれ、さらに家族を喪失した人がいこの町や、沿岸部300kmに連なって立ち竦んでいるかと思うと、私は虚しさよりも怒りを感じた。
 そして復興の兆しさえ見えぬ土地に留まり立ち続けようとする岡さん一家を応援したいと思った。

 迷いに迷いながら、避難所を去る際に1枚の企画書を彼に手渡した。人と人が語り合い飲食を共にでき、ばらばらとなった街の人々の心をつなぐ為の仮設のカフェ、「女川コミュニティカフェ」のスケッチが描かれていた。岡さんは「これだよ!これ!」と笑顔を弾ませ、僕らは2度目の固い握手をした。


[桜の下で]
4月17日、震災直後に避難していた近所の学校でささやかなお花見会が開かれた。避難住民有志で企画し、多くの懐かしい顔がブルーシートを囲んで並んだ。風はまだ冷たさを残し、満開にはまだ少し足りない蕾も多かったが、1ヶ月という激動の時間を経ての再会に話が尽きることがなかった。
若い学生さん達から2歳の私の娘までが一緒にボールで戯れ、無邪気な笑い声であふれた。寝食を共にしたのはたった5日間だったのだけれど、かけがえの無い仲間となっていた。

そして僕らは西陽に輝きを増す桜の下で、期限のない再会の約束をしてそれぞれの家路についた。

2011年3月4日金曜日

オリジナルしっくい塗料 「灯台しっくいペイント」をご紹介

職人の失われた技術を甦らせた、旧くて新しい塗装。



塗装業・太宰辰男さん(昭和12年生まれ)はこの道50年を超す大ベテラン。
太平洋を臨む宮城県七ヶ浜町の船大工の家に生まれた太宰さんは、若い頃から木造船や港湾の塗装の仕事で腕を磨いてきました。

特に第二管区海上保安本部から請け負った灯台の塗り替え工事は、高所にブランコの様に吊り下がってする孤独で危険な作業でした。若かりし20代の太宰さんは簡単な道具と材料を担いで、海岸線沿いに各地の岬を転々と渡り歩いたそうです。

その仕事で会得したのが、この現地で調達して調合して塗装できる「灯台仕上げ」です。
岬の潮風や高波に耐えることができたこの丈夫な技術は、太宰美装さんとの共同での試行錯誤を経て、漆喰に匹敵する塗装として蘇りました。様々な素材で手作りのハケも再現していただきました。ハケ引きのほか、コテ・ローラー・吹き付けなどで様々な表情を作ることができます。


材料は宮城県産の石灰石と天然素材を使い、安全で、殺菌効果があります。
かつての灯台はミゴ箒という丈夫なハケで塗った荒々しい肌合いの仕上げだったそうです。それはまるで地中海沿岸沿いに点在する村々の白い壁を連想させます。

この技術、もしかしたら世界の海を旅した異国の船乗り達が伝えたものかもしれませんね。


今までも港町の喫茶店「ダイヤモンドヘッド女川」の内装の仕上げに施したり、



 住宅の和室に吹き付けて塗ったり、






 完成記念に庭の土を混ぜて、みんなでワイワイと塗ったりと自由自在。



灯台という厳しい条件で育まれ、宮城県の地元の材料を使った「灯台しっくい」は販売、およびご自分で塗りたい方への出張指導もできます。(遠方の場合は別途交通費、また養生や調合は別途費用が必要です。)

灯台しっくいペイント
内部用 10,000円~/缶 ※一斗缶(16リットル)
外部用 11,000円~/缶

施工可能面積は10~12m2(1缶あたり)

※親子2代で営まれている小さなお店なので基本受注生産です。事前にお問い合わせください。
※性能保証はありません。別途現場調合が必要な場合があります。

詳しくは海建築事務所(to_sea_office@ybb.ne.jp)にメールでお問い合わせ下さい。(@を半角に変更してください。)

2011年1月7日金曜日

彫りましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

昨年はこれまでお世話になった方々に多くの励ましやご厚意を頂き、
また新しい取り組みの中で新しい出会いも生まれ、
改めてモノづくりの奥深さを知るとともに、
人と人の関わりにこそ魅力的な建物やデザインが結実されることを実感した一年でした。

更なる精進と、私にしかできない可能性を深く広く探求し、
時代の潮流に目を背けず、
永く愛され、笑顔に満ちたモノづくりと場を創っていきたいと思っています。

本年も宜しくお願い申し上げます。

海子揮一


2011年も7日経ち、年賀状の版木を新聞紙に包んで棚にしまいました。
木版画で年賀状を作り始めて何年になるのかな…。確か高校の時が最初で、自分が関わった建築を描き始めたのは2006年から。なんとか5年目を無事終えたことになります。

年末ぎりぎりまで忙しい業界なので、いつも彫り始めはその年の年末から。いや、元日の朝にようやく作り始める、ということもしばしば。
初詣以外は外出せず、ひたすら年賀状の製作に3日間を当てます。思う存分に創作に没頭できるには最高のタイミングですが、妻の献身的な協力に支えられつつも、子どもが大きくなってくると難しいかな…とも感じ始めています。
枚数も年を追うごとに次第に増えていっているし、きっといつかは限界にくるかも知れません。

木版画にこだわるのはシンプルに楽しいからですが、
メールやツイッター全盛の時代に、手書きのものは普段の手紙でも少なくなってきています。
手書きの文字の震えやインクの滲みからは活字にはない送り手の心模様が伝わってきて、受け取ると心が温ままります。相手にもその気持ちを受け取ってほしくて僕は手作業で年賀状を作っているのだと思う。

私の仕事は大量生産品を作ることではなく、「誰か」の為に生み出すという送り手と受け手のキャッチボールの間に存在しています。
「不特定多数に送ろうとすると手間を省くことを考え、質が低下してしまう。」
というのは版画用紙を買いに必ずお邪魔する白石和紙工房の遠藤まし子さんの言葉。
だからせめて年賀状位は単なる「送り物」ではなく、「贈り物」にしたい。
私もその気概がある間はこの年末年始の作業をコツコツ続けていきたいと思っています。


今年の図案は「烏兎の森の家」でした。
ちなみに背景の山は仙台の三角峰である太白山。この古名が「烏兎が森」なのです。
烏(カラス)は太陽あるいは星のシンボル。
兎は月のシンボル。
海上からもすぐ見分けが付くピラミッド上の太白山は、太古から船乗りたちの信仰の対象だったのです。頂上の貴船神社には、今でも海上の安全を祈願しに漁業関係者が訪れるそうです。

この木版画、擦り方や配色はそれぞれ作りながら変えていっています。
だから1枚として同じハガキは存在していません。また、版画が楽しくなってきて必ず追加でもう一枚つくるので、全シリーズを所有している方もいないはずです。

いつかポストカード集でも作ってみたいものです。

2010年12月25日土曜日

「家づくりを考える日」終了しました

12月19日~20日にTOTO仙台ショールームで開かれた「家づくりを考える日~5人の家づくり+いろんな椅子展」が無事終了しました。

両日とも会場におりましたが、大変多くの方々とお話できて楽しいイベントでした。
ご来場ありがとうございました。

私は初めての展覧会でしたが、5人の建築家のブースにもそれぞれ個性があって、これも一つの住まいづくりにつながっているきっかけになっているかもしれませんね。

私のブースは写真パネル1枚と模型2点(20日に追加した)と簡素なものになりましたが、目玉は「…と暮らす日々」のフォトブック4冊。手にして読んでいた方々にとても好評でした。写真提供に協力いただいた住い手さんも来場されて、完成品を見ていただきました。感謝!
また、仕事を通じて出会った職人さんが持つ独自の知恵や経験を活かした技法である、オンドル・ペチカと、灯台ペイントのエピソードを紹介しました。これも多く関心を寄せていただきました。

木の仕事樹々さんの「バターナイフづくりワークショップ」も19日だけでしたが、常に参加者が作業していて盛況のご様子。参加者が木工の楽しさや難しさを、少しでも負担を軽く、安全に作業できるように道具が工夫されているところはとても参考になります。
4人の木工作家による椅子や有名デザイナーによる椅子など、これだけ多種多様な椅子が一堂に会するのは貴重な機会でしたね。

個人的には反省点も多々あるのですが、フォトブックなど自分なりのスタイルも提案でき、来場された皆さんや、他の建築家ともゆっくりお話できたりと、充実した展覧会でした。

さて、早くも次の企画の声も聞こえるようですね。
もっと実験的に、建築設計というフィルターを通して、家づくりや普段の暮らしを考え直すきっかけになるようなイベントが増えていくといいですね。

2010年12月10日金曜日

建築フォトブック「…と暮らす日々」

年末の建築展に向けて、設計した家の住まい手の皆さんの協力で、日々の暮らしの写真を撮影して頂いた。
設計者の目線では見えないシーンの連続に胸が熱くなった。
皆さんありがとうございました!

この写真アルバムのタイトルは「…と暮らす日々」にしました。



これまでも僕なりに、人が住宅を建てる魅力や、その意味、設計者と住い手の関わり方について色々考えてきた。あるいは、住い手や建築家としてのオリジナリティとか、個性とは一体何なのだろう、とか。
たしかに「住宅」は様々に解釈できるし、定義づけもできる。
それでもいつも何か足りないか、何か余計かのどちらかで、きっと真理といえるものは存在しないのかもしれない。

僕にとって住宅を設計することというのは、住い手の創造力の担い手となることとであると思っている。住い手の創造力の源は、住い手自身の生き方や暮らし方から自然に生まれでなくてはいけないはずだ。でもそれを簡単にことばや間取りに置き換えられる人なんて皆無だろう。だから設計前には僕自身を白紙にして、できるだけ話を交わすことに時間を割く。

じゃぁ、建築家としての個性って何だろう?
手がけた住宅を見てみれば、何となく僕のカラーは出ている。
でもそれよりもオンドルがあったり、断崖絶壁の上にあったり、1階全部ががらんどうだったり、とどれも負けず劣らずのキャラぞろいだ。
だから「個性」というのはきっと、僕と住い手との間に芽生えるもの、のようです。

「個性的」というのは、ワタシとアナタを区別する記号をさすのが一般的だけど、人は多面的で複雑な生き物だ。
だから僕という存在が、樹の根が土の中で広がるように、周りの様々な人と出会い、暮らすことで生まれる「関わりの形」こそが「個性」と捉えると、何だかもっと自由になれる気がする。

新しい人と出会い、絆を深めたり、仕事を変えたり、引っ越したり、と関わりの形が変われば、今の個性は昔の個性ではない。僕が東北に生まれ、カイコキイチという名前の持ち主であることは誰にも侵されないアイデンティティだけど、「関わりとしての個性」はどんどん変わっていける自由がある。しかもそのオリジナリティは唯一無二のもの。

そして「〇〇と一緒に暮らす」という行為こそ、誰にとってもオリジナリティあふれる形であり、そして創造的な行いなんだ、と気がついたのです。
(これも美術家の藤浩志さんのレクチャや、小さな街の小野さんの仕事と関わったからこそ気づいたかもしれない。)

設計士である僕はそれを形にする。
それが家をつくることなんだ。
だから住い手の皆さんから
「人から個性的な家だと言われるが、僕らにとっては自然に暮らせる家です。」
と聞くとすっと言葉が腹に入るし、とても嬉しい。

建築フォトブック「…と暮らす日々」はたった20ページで限定1部だけど、
住い手が撮影した写真すべてに、誰かとの暮らしの日々が写っています。
プロの写真家の目では絶対に撮ることのできない世界です。
設計者の意図した写真と対比する構成にしたのは、その違いを感じて欲しかったから。

ウェブで公開することは今後ありませんので、ぜひ会場で手にとってご覧になってください。

家づくりを考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」は今月19日と20日の二日間。
http://ienichi.sblo.jp/
僕は両日とも会場にいます。

2010年11月19日金曜日

家づくりについて考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」

 来月ですが、宮城県で活躍中の建築家とのグループ展に参加します。
日時 2010年12月19日(日)・20日(月) 10:00-17:00※20日は16:00まで
会場 TOTOショールーム(入場無料)
http://ienichi.sblo.jp/

建築家だけではなく、木工作家さんも作品を展示します。
クラフトワークショップもあります。

「バターナイフを作ろう!」
12月20日(日)10:00-15:00
参加料:1000円
講師:木の仕事 樹々の斎藤さん

街はクリスマス一色の頃ですね。

サンタさんならぬ、他の建築家の皆さんと共に会場でお待ちしています。

TOTOショールームはこちら

大きな地図で見る

2010年11月1日月曜日

トークイベントを終えて


 仙台の喫茶店「アンビエン」で開催された「小さな街」企画のトーク&レクチャーを無事終えることができました。台風が迫り雨が降る中ですが定員満席となりました。お越しいただきありがとうございました。
予定時間を大幅に超えた、非常に濃密な3時間半でした。

今回のイベントは「小さな街」という、多彩な切り口で街に仕掛けてる小野さんからの提案で実現したものでした。私という個人の仕事や活動をアンビエンの数時間様々な人々と共有して、つながりや経緯をたどる事で個人が連なる社会の姿を明らかにして行く試みでした。
実際お集まり頂いた参加者の顔ぶれは本当に多様で、全く初対面の方から、旧知の職人さん、お施主さん、同業の方からNPOにお勤めの方など。まさに私にとっては360°から見つめられ、全てをさらけ出す様な場であり、まな板に乗った気分で過ごした時間でした。
 しかしコーディネーターの小野さんからのQ&A方式で和やかにレクチャーは進行、参加者の皆さんから多くの興味深い質問や指摘を受けることができました。

私なりに建築の世界を手探りで歩いてきた10年間でしたが、こうして一般の方向けにお話してみると自分の軌跡が一貫して今に連なっていることに気付かされます。
ブログですら、私を語るというのはどこか面映いことですが、問われて初めて自分の言葉から発見したのは、私の生き方の姿勢、創作に臨むある種の習性でした。
それはまるで問い続けることで朧気な正解の輪郭を掘り進めていく行いに等しく、その中で確かな手応えを感じたものだけを頼りに創作や、社会活動を続けてきたように思います。

「人はなぜ建てようとするのか?」
「住まいとは何か?」
「ここで何が可能か?」
こんな前提とも言える素朴な疑問を自己に、または依頼者の方々に問い掛け、共に考えることで見えて来る障害や、問題、疑問、あるいは些細な「引っかかり」は、実は個々のアイデンティティの投影なのです。それを反転できれば、その土地、その人固有の魅力的なデザインにたどり着く。
形にすぐ現れるものでもない作業なので、見えて来るまでには確かに時間と根気が要ります。

  レクチャーで聴いていた参加者のある方はその行いを「情熱的だ」といい、またある人は「根源的だ」ともいい、そしてまた「つなげる人」、はたまた「縄文的だ」とも。
  でもそこはコーディネートしてくれた小野さんがとても客観的にまとめてくれていますので、小さな街のブログから引用させて頂きます。

 僕がこのテーマで感じたことは、
やはり海子さんは「コミュニケーショ ン」の人であるという事。
では、海子さんのコミュニケーションの「特徴」とはなんだろう?
[中略]

(何に対しても)疑問を持つ事。そして(持った疑問を自身や相手に)

問い続ける事。もうひとつは、(海子さん)自身の「経験」を相手と
共有する事で導いているという事。

相手(お客様や業者さん)の事を時間をかけて知り、
そこで見えてくる疑問(問題)を導くように自身の大きな経験で包み込んでいるのかな
と感じました。
この部分が相手に伝わり、海子さんへの「信頼」や「興味」に繋がるのだなと。
そこが海子さんのコミュニケーションの「特徴的」な部分なのではないのでしょうか。
 【小さな街・anbienで過ごす1年ブログより】

温かなスープを食べながら…。
依頼者にとっての家づくりを旅に例えるならば、大手ハウスメーカーはパック旅行。それに対して私の仕事は冒険心あふれる一人旅のガイド。依頼者と共に、あるいは先行して目的地まで導く。図面はその為のプランや地図ともいえるでしょう。
そう思えば、これまでの数々の出会いが今の私の個性を形作っているのです。
これからどんな出会いや旅が待っているのか…。このレクチャーで見えてきた10年の蓄積を土台に更に積み重ね、今後も変化も吸収しながら進化していければ、と願っています。

それにしてもこうしたお話会の企画そのものも実に興味深かった!今回は自分自身がゲストでしたが、きっと文章や写真だけではない建築家の生の声や表情やためらいも含め、話を聞き、言葉を交わす場を一般の人は求めていると実感しました。
様々な人々からの声や発想で織りなす創造的な場。関心や価値観が交わりにくい現代社会ではとても意味があるのではないでしょうか。

無論、反省点もなかったわけではありません。
自分自身のコメントの帰結として「つなぐ」というワードを多用しすぎて、もっと肝心な「どうつなぐか」「どんな形でつなぐか」を端的に提示できなかったこと。また裏テーマとしていた「所有/共有=ひらく/とじる」の話題を触れるに留まったことなど。

でもこれは改めて他の建築家や、あるいは多種多様なクリエータを交えたお話会の企画を、楽しい形で提供したいと考えています。

[参考資料]
時間配分が分からず紹介しきれなかった画像と書籍です。
アマゾンのボタンが煩わしいですが、詳細情報が掴めますのでそのままリンクしています。
・画像
・書籍



・BGM

2010年10月24日日曜日

沖縄のワークショップレポート

少し肌寒いくらいに秋が深まっていますが、夏盛りの8月に沖縄の沖縄市で子供向けのワークショップをしてきたレポートがアップされています。
ワークショップのタイトルが「基地の街で秘密基地づくり」という刺激的なものですが、
(政治的・思想的な企画ではありません。念のため)
大人の難しい思惑を現地の子どもたちは軽々と飛び越えていく逞しさを見せてくれました。
人が本来持っている、手近なものから自分たちの砦を作るという能力は、
決まった遊び方のゲームや安全大優先の遊具の中では得られない感覚です。
道具の使い方や、紐の縛り方など、現地の子どもたちに「技術」を伝えられていたら汗を流した甲斐があったというものです。

好きな沖縄の街で、味わった濃厚な5日間の記録です。
ご興味ある方は下記のリンクでお読みになれます。

アート屋台プロジェクト公式ブログ
コザレポート「わらばーたーと一緒に基地作り」
http://yatai2008.exblog.jp/12047781/

2010年10月12日火曜日

仕事を語る

仙台のカフェ「anbien」で私の仕事を振り返るトーク&レクチャーの詳細が決まりました。

企画は「小さな街」の小野さん。 「仕事」を通してその人の「働き方」や「考え方」「生き方」などを独自の視点で深めていく企画の第1弾のゲストになるそうです。

小さな街プロジェクト「anbienで過ごす1年」

気がつけばアトリエを開いて10年経ったんですね。(しみじみ…)
これまでの軌跡を振り返り、いま何を考え、これからどこに向かうか整理するにはいい機会を頂戴しました。
建築に留まらず、アートに関わること、子育てや街やコミュニティーのこれからを集まった方々とフランクに話し合えるような時間にしたいと考えています。

参加者を募集しています。親密なサイズの空間ですので、お気軽にお問い合わせください。
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「海子さんの仕事」

日時 10/30(土)18時~20時
会場 anbien
料金 ¥1,000(温かいスープ付き)
定員 10名

参加のご予約は、chii-sana-machi@mail.goo.ne.jpまで
ご連絡ください。

話し手 海建築事務所 S.E.A. Design and Build Office 
代表 海子揮一

聞き手 小さな街 小野さん

【 anbien 地図 】
光原社さんから仕事を渡って向かいの建物の2階です。

大きな地図で見る

2010年9月22日水曜日

恵み野「菜園生活」フェアへの参加

現在、宮城県岩沼市にある住宅分譲地「恵み野」の三軒茶屋西土地区画整理組合さんからのご厚意で、「菜園生活フェア」に海建築事務所も指定建築家の一人として参加させていただいています。
  「恵み野」は海に近く、空が大きく広がる温暖な田園地帯にあります。高速道路の仙台東部道路に近く、かつての屋敷林が点在している散村の中に小中学校や郵便局など生活関連施設がぎゅっと詰まった若い街区です。
この新しい土地に住まわれる方は正しくこの街の歴史や文化を創り出していく中の一人になるはず。依頼があっての設計のお話ではありますが、そんな白紙に未来を描き出す責任感のようなものがこの土地を訪れると足元から込み上げてくるようです。

この「菜園生活フェア」は指定建築家または指定ハウスメーカーと家づくりをする方に特別価格で分譲するというもので、更にもれなく共同農園の畑の所有権もついてくるそうです。

詳しくは下記の連絡先にお問い合わせください。最新情報を発信しているブログも必見ですよ。
カスタマーセンター「恵み野館」
お問い合わせ
TEL.0223-25-5855


今回参加される建築家は40代を中心にした、皆今後の宮城の住宅文化を担っていくクリエーターばかり。設計事務所での家づくりをプレゼンしたり、イベントを共同で企画していくお話もあり、改めて自分自身の設計に対する姿勢というのを見直す良い機会を得られたとも感じています。
カスタマーセンターに置かせていただいている自己紹介のリーフレットも苦心して作った成果のひとつ。


ここ最近Twitterへの投稿ばかりが多かったので、上のリーフレットをお題に改めて海建築事務所としてのデザインポリシーをこのブログで解説していこうと思います。

2010年9月15日水曜日

海建築事務所ホームページのアドレスの変更

9月15日付けで海建築事務所のホームページのアドレスを引越ししました。
お手数ですが、ブックマークやお気に入りの変更をお願いします。

新しいアドレスは下記の通りとなりました。
http://www.sea-designs.com/

今後もよろしくお願いします。

2010年6月25日金曜日

小さな家族への眼差し

キッチンの流しの前にある小さな窓。
外には目に鮮やかなカエデの緑と、物置の側面に取り付けられた温度計と小さな鏡。

暮らして半年のお宅に訪れた際、思わず撮影。
住まい手のご家族が工夫されて取り付けられたそうです。

窓ガラスで仕切られていても、大切な小さな家族。
設計でも彼(パグ犬)の為に納戸を寝床にしたり、リビングで様子を見られる窓を設
けたり様々な仕掛けを盛り込んでいましたが、生活の中で多くいる厨房のシンク前に
このアイディア。
この手鏡のような「窓」を通して、優しい眼差しでつながっていることが素直に伝わ
ってきました。

2010年6月8日火曜日

ゆうと君を救う募金


私の知人の甥っ子さんが、重篤な難病で困っています。
特発性拡張型心筋症という難病で、心臓の筋肉が薄くなり、心臓が拡張してポンプ機能が低下し、全身への血液循環が悪化する進行性の病気で、もっとも重篤な心臓の病気です。

5歳の彼「ゆうと君」が救われるにはは米国に渡り、心臓移植手術を受ける以外になく、その高額な資金を集めるために広く募金を呼びかけています。

http://www.yuto-save.jp/index.html
(ゆうとくんを救う会の公式H.P)

この日曜日に生まれて初めて街頭募金のお手伝いをさせて頂ましたが、手から手に引き継がれる思いやりを肌で感じることができました。後日、闘病中のゆうと君の写真の眼差しを見て、その生命の輝きにむしろ逆に勇気づけられた気がしています。単なる善意の助け合い、という見方だけでなく、この社会でのつながりに血を通わせるような体験でした。
移植という考え方への是非の議論もあるかとは思いますが、善意の提供というのは、どれだけ相手先へのイマジネーションを持てるかどうか、ということかもしれません。ささやかながらその一助を担えればとも考えています。

とはいえ命の砂時計も余裕ある状況ではありません。
情報の身近な方々への周知と募金活動の支援をお願いします。

2010年3月24日水曜日

薪の調達と家が開くこと

急なお知らせにも関わらず、河段の家でのペチカ公開と薪置き場づくりの日は天気にも恵まれ、無事過ごせました。
実のところは薪ストーブが要らない位に暖かな日で、ペチカのレンガに蓄熱された余熱で十分でした。こういった企画はもっと厳しい寒さの時期にした方がより楽しめそうですね。次のシーズンにも考えてみたいと思います。

薪置き場は本体工事の付帯ではあるのですが、諸事情により基礎と木材のプレカット以外は素人のホビー。思わぬ大工仕事ワークショップとなりました。
(薪置き場はまだ完成していませんので、継続中)
ほぼこの置き場をいっぱいにして1シーズン分の薪250束分の計算です。多いようにも思えますが、主暖房の薪ストーブ用としてはかなり少ない方。これも蓄熱体(ペチカ)との組み合わせがあるからこそ。
バイオマス利用、CO2削減、脱石油として流行りつつある薪ストーブですが、実際所有すると薪集めに奔走する労力だけでも負担になりかねません。火を焚く愉しみもありますが、限られた資源は効率良く使いたいものです。

実際アフターフォローとして、薪ストーブを導入したクライアントさんの為に山で薪を生産している団体とのマッチングもしています。直接丸太を購入したり、あるは協働で薪作りをした方が費用も安く済むし、なにより山そのものを体感できる。実際の山林の状況を知った上で、日々の温もりの火を愛でることができるのです。こんな学びの機会は得ようと思っても得られるものではありません。

街と森をつなぐ有効な装置として、薪ストーブはもっと着目さていくでしょうし、針葉樹の間伐材も使えるストーブの改良が待たれます。

ペチカもオンドルも共通に言えますが、技術万能のものではなくローテクで設計としては不便な設備ですが、消費エネルギーを抑え蓄熱して有効に使おうとすると、自然に家はワンルームの様にオープンな設計になっていきます。家内部に留まらず、薪調達という必然性が家と地域をつなぎ、内外にオープンな「家を開く」仕組みになる可能性に設計者として魅力を感じざるを得ません。

2010年3月16日火曜日

急募「ペチカを体験できる日」

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春分の日も近いですね。一雨ごとに春めいてきています。

さて去年の7月に竣工直後に「住まい開き」という見学会を開いた「河段の家」ですが、そのシンボルであるペチカ(ロシア式壁蓄熱型薪暖房)が大活躍してくれました。春近いとはいえまだ3月。河岸段丘の木々の緑の葉は今はなく、絶景といえる眺望が堪能できます。夏に見学に来て頂いた方に、ぜひペチカと薪ストーブの暖かさと冬の眺望を味わって頂けないものか・・・。

そこで体験していただける日を1日設けてみました。

◎3月22日(祝)10時頃から日没まで
場所は仙台市JR愛子駅近く。

でも急ごしらえの企画で、かつ純粋な見学会ではありませんので、こんな条件で良かったら・・・、という前提でお申し込みください。
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その1 もれなく薪置き場の組み立て作業が見られます。手伝えます。
その2 事前申込の方のみ限定です。前日まで連絡お願いします。
その3 陽だまりの暖かさと讃えられるペチカを体感できます。極上のオーディオも視聴できるかも知れません。
その4 私(海子)は外の作業に忙殺されてゆっくりお話できないかも知れません。
その5 差し入れ歓迎です。
その6 悪天候時は翌週に順延の予定です。
その7 駐車場を借りる予定は今のところありません。

注文ばかりで・・・申し訳ありません。
でも冬の家もちょっとだけ見たいという方でもかまいません。のんびりお待ちしております。

とりあえず関心があるかたはメールにてお問い合わせください。
to_sea_office@ybb.ne.jp 海子まで

2010年3月8日月曜日

狸庵 冬のアルバム


友人を伴って冬2度目の訪問です。
友人たちは2日目に帰って行きましたが、私たち家族は次の日まで滞在させて頂きました。
それまで春のような温かさでしたが、この日には急に雪が降ってまわりの景色が一変。

なのに逆行するかのように、この日は居久根の落ち枝の片付けにかこつけて焚き火三昧。寒そうに見えますが、実際はとっても暖かいのです。
狸庵のオンドル(床蓄熱型薪暖房)は常夏のような暖かさで実に快適なのですが、たまには冬の冷たさを楽しむのもいいかな、と思ってのことですが、これも暖かな家があればこそ。
でも、焚き火はここでの石窯作りのきっかけになればいいな、という策略もあったりして。

おまけは娘の写真。狸庵の猫たちと遊ぶ間にすっかり猫になりきったようで、キャットドアの意外な活用方法を発見することに・・・。

2010年2月26日金曜日

木を見て森を見ず

 先日参加した「仙台の森林を観る会」と「反景観論」の話。

 近年の世相の動向としてこれほどコミュニケーションやネットワーク、結(ゆい)の復権が叫ばれ、つまり横へのつながりが求められているが、縦(時間的な構築)へのつながりの話が少ない気がします。例えば生産したものが長い時間周囲に影響を与え続けていく。建築自体もそうだが、植林は特にその気の長くなる時間で「環境」を作り守っていく営みそのものなのです。
だから人の手で大事に育てられた林の中に立つと、そびえる木立の高さよりも掛けられた時間の壮大さに言葉を失ってしまうのです。

 だから花粉症で杉や檜が徹底的に敵視されることは非常に悲しいことだし、グランドデザインすら共有せずに行政の失敗を挙げ連ね、モータリゼーションや隣国の大気汚染に歯止めできない現状のスケープゴートにすらなっている感があるのです。

 我々が理想とする里山のイメージ、雑木林があって、山菜が豊富で、子どもが駆け回るようなイメージは明治までは、村落の限られた人々の為の、人々の手による共有財産(入会林)でした。租税改正でそれが一握りの人に「所有」されたことで、「持つ者」「持たぬ者」にコミュニティ自体が引き裂かれてしまった「縦」の経緯があります。私有林で大事に山を保っている人がいる一方で、放置され憎まれる暗い山林がある。グローバル経済至上主義に沿わず、都市との連携や民意による第三の道をさぐるなら「所有」という考えに切り込まなくてはならないはず。社会の仕組みに根ざす非常に困難な課題です。
 「観る会」で十分に話せなかったことは、家づくりでの土地選びですら、そこに生きていくという必然性が希薄になっているのに、単純に地産地消という価値だけを声高にすることへの違和感、両者のコミットメントが工事完了と共に途絶えてしまう違和感を感じている点。その違和感を解消するためには、排他主義に陥らないようもっと幅広い人の交流とアイディアが生まれて欲しい点でした。
(居住後の山と人をつなぐ仕組みとして薪暖房は実に有効なのだが、その考察については後日記したい。
 一方で拝見した美林を歩けば、光が下草まで届くので実に豊かな植生が見られました。名取の山林には以前紙漉きに利用していたミツマタの群生があり、黄色いつぼみがまるでイルミネーションみたいにまばゆい。僕なんかは花粉症の症状が治まり、清涼な空気にマスクを外したほど。

机上で憂うことよりも、ずっと多くの魅力と可能性がひっそりと息づいているのも、また事実なのです。

(7月13日加筆)


2010年2月25日木曜日

人形は瞬(まばた)かない

ネットワーク上の情報の価値とは質より量が勝る。
それが良いはずは無いのだが、現状認識をした上で新たな可能性を求めてみたい。
これらは私が主宰しているアートプロジェクトで全国の同士らと交流を得て実感したこと。
一方でこれらのツールは「すでに脚色・編集された情報」でしかないので、直接会う行為に勝ることは絶対にありません。むしろ現実に会って過ごす時間と空間の質が問われてくるかも知れません。
ますます建築の持つ身体性と関係性が期待され、訴求されてくることでしょう。

 そうなると共に暮らす家族とは何か?とも改めて考えたくなる。
「自分が自分であるためには驚くほど多くのものを必要とする」
(攻殻機動隊GOHST IN THE SHELLでの主人公のセリフ)
という声は、社会と自然とのつながりが薄れるにしたがって、相対的自己肯定が高まっている現れでしょうか…。



EMOTION the Best GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [DVD]


しかしどんな建築物でも、愚直にそこにあり続ける。うつろいゆく世相や情勢に比べて長い時間向きあう人と場の関係を結び続け、あるいは位置づける。(社会でこれが行き過ぎると環境管理型権力社会・アーキテクチャ化、なんてことにもなるらしい。)

可能性を含みつつも、そんな絶対的な特性があるという基本を忘れてはなるまい、と自戒しておきたいこのインタラクティブな今日この頃です。

2010年2月24日水曜日

新しいブログ開設

見切り発車ですがこちらに引越してきました

前のブログからのデータはまだ完全には移しきれていませんので、
古い情報や日記は以前の「もの・ログ」をご参照ください。


しばらくの間、本家のホームページが落ち着くまでは更新が遅くなりますが、なるべく書きためないように発表して行きたいと思います。