年末の建築展に向けて、設計した家の住まい手の皆さんの協力で、日々の暮らしの写真を撮影して頂いた。
設計者の目線では見えないシーンの連続に胸が熱くなった。
皆さんありがとうございました!
この写真アルバムのタイトルは「…と暮らす日々」にしました。
これまでも僕なりに、人が住宅を建てる魅力や、その意味、設計者と住い手の関わり方について色々考えてきた。あるいは、住い手や建築家としてのオリジナリティとか、個性とは一体何なのだろう、とか。
たしかに「住宅」は様々に解釈できるし、定義づけもできる。
それでもいつも何か足りないか、何か余計かのどちらかで、きっと真理といえるものは存在しないのかもしれない。
僕にとって住宅を設計することというのは、住い手の創造力の担い手となることとであると思っている。住い手の創造力の源は、住い手自身の生き方や暮らし方から自然に生まれでなくてはいけないはずだ。でもそれを簡単にことばや間取りに置き換えられる人なんて皆無だろう。だから設計前には僕自身を白紙にして、できるだけ話を交わすことに時間を割く。
じゃぁ、建築家としての個性って何だろう?
手がけた住宅を見てみれば、何となく僕のカラーは出ている。
でもそれよりもオンドルがあったり、断崖絶壁の上にあったり、1階全部ががらんどうだったり、とどれも負けず劣らずのキャラぞろいだ。
だから「個性」というのはきっと、僕と住い手との間に芽生えるもの、のようです。
「個性的」というのは、ワタシとアナタを区別する記号をさすのが一般的だけど、人は多面的で複雑な生き物だ。
だから僕という存在が、樹の根が土の中で広がるように、周りの様々な人と出会い、暮らすことで生まれる「関わりの形」こそが「個性」と捉えると、何だかもっと自由になれる気がする。
新しい人と出会い、絆を深めたり、仕事を変えたり、引っ越したり、と関わりの形が変われば、今の個性は昔の個性ではない。僕が東北に生まれ、カイコキイチという名前の持ち主であることは誰にも侵されないアイデンティティだけど、「関わりとしての個性」はどんどん変わっていける自由がある。しかもそのオリジナリティは唯一無二のもの。
そして「〇〇と一緒に暮らす」という行為こそ、誰にとってもオリジナリティあふれる形であり、そして創造的な行いなんだ、と気がついたのです。
(これも美術家の藤浩志さんのレクチャや、小さな街の小野さんの仕事と関わったからこそ気づいたかもしれない。)
設計士である僕はそれを形にする。
それが家をつくることなんだ。
だから住い手の皆さんから
「人から個性的な家だと言われるが、僕らにとっては自然に暮らせる家です。」
と聞くとすっと言葉が腹に入るし、とても嬉しい。
建築フォトブック「…と暮らす日々」はたった20ページで限定1部だけど、
住い手が撮影した写真すべてに、誰かとの暮らしの日々が写っています。
プロの写真家の目では絶対に撮ることのできない世界です。
設計者の意図した写真と対比する構成にしたのは、その違いを感じて欲しかったから。
ウェブで公開することは今後ありませんので、ぜひ会場で手にとってご覧になってください。
家づくりを考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」は今月19日と20日の二日間。
http://ienichi.sblo.jp/
僕は両日とも会場にいます。
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