毎年2月になると決まって出かける土地がある。
山形県最上郡金山町。
奥羽山脈と秋田県境の山地に挟まれた土地はこの季節は豪雪に包まれ、 東北生まれとはいえ雪の少ない土地に育った人間には別世界である。
向かう谷口集落には雪に埋もれそうな木造の旧分校があり、 「四季の学校」と称して農村体験や心づくしの宴が開かれるのだ。
そこにたどり着くには危険な雪道を長距離運転していかないといけないのだが、 なぜか冬のこの季節、5年間一度も欠かしたことがない。
風景の素晴らしさ、地元の人々の温かさに魅せられ、 知らない知人に何とか魅力を伝えようと手を尽くすが、 僕の誘う言葉や写真では力不足で唇が寒くなる。
結局の所、半ば強引に、半ば騙すように引っ張っていくのであった。
従って、騙されて連れてこられた友人達がどんな感想を持っているのか、 宴が始まっても気がかりでならなかった。
今回はアウトドアに興味がない家族を連れていったので尚更である。
ところがその家族がついと朝の散歩に出かけ、雪まみれになって帰ってきた。
外は前夜降り積もった新雪が静かに輝き、時折り舞い散る雪が空に煌めいていた。
帰り道の車内で、彼女はつぶやくように散歩の感想を話した。
「すごい静かだった。 けっこう遠くまで歩いていったんだけど、 廻りに誰もいないのに、ちっとも寂しくない。 不思議だね。」
僕は即座にその問いに答えることができた。
「それはね、きっと何気なく見ているこの里山や田んぼや道の風景が、 長い時間と多くの人の手を経て出来上がったものだからなんじゃないかな。 そして今も、体の一部のような感覚で、山を整備し、畑を耕している。 『心』が何気ない風景にとけ込み、それに包まれているから寂しくならないと思うよ。 逆に人もいて、多くの視線に曝されているのに街や近郊の風景はなぜか寒々しい。 省みられぬ風景ほど寂しいものはないってことだろうね。 それは人も風景も一緒だな。」
夕闇に浮かぶ仙台のビル群のシルエットを見ながら、 僕たちはつかの間の旅の温もりを胸にそれぞれの家路を走った。