2007年2月27日火曜日

郷愁への旅


 僕はその時代を知らない。

 今年の初め、正月旅行気分で「くりこま田園鉄道」に乗った。このローカル鉄道は今年3月中に廃線になってしまうので、これが最初で最後のチャンスであった。普段、自家用車に慣れてしまうと「わざわざ電車を乗りに」というのはマニアでない限りかなり億劫に感じてしまうが、最後、の焦燥感に駆られて駐車場のある細倉マインパーク駅に向かった。

 細倉マインパーク駅はその名の通り、鉱山で賑わった町だったが、今は昔、正月休みのせいもあって駅にも通りにも人気が無い。時刻表の時間つぶしに「東京タワーのロケ地」の立て看板に引かれ、無人の従業員向けの社宅地を歩く。昭和30年代の雰囲気そのままに撮影セットに活かされた町は荒野のよう。長髪の僕はオダギリ君に間違われはしないか、と不要な心配をしながら沈黙の窓が並ぶ通りを歩く。晴天のまぶしい太陽の影が、巧妙な化粧を施され大道具と化した、フェイクな情緒を浮き上がらせ余計に淋しくなる。

 やがて1時間に1本の電車の時刻となり、おにぎりとペットボトル茶を買って駅に向かう。ピストン運転のプラットホームは予想以上の賑わいで、窓辺の小さな一人掛けの椅子に座って落ち着くころには8割方の混み様である。軽やかなテープのアナウンスの後、発車した。
 冬の午後2時の光は優しい。狭い谷あいに沿うように古い枕木の上を1両編成の電車がゴトゴト走っていく。あらゆる年齢層の乗客の賑わいは、かつての全盛期の光景だろうか。その手にデジカメやら機関砲の様な一眼レフが覗いていることを除いて。田園地帯に出て、のどかなだなぁ、と目をやると田んぼの中から何台ものアマチュアカメラマンの集中砲火を何度もあびる。車中も車外もカメラ、カメラ。僕の様に昭和30年製のハーフカメラを携える位のセンスはないのか!、、、とはいえ所詮同じ穴のムジナ、いやヤジ馬には違いない。

 郷愁という名の電車に乗って、捨てたはずの「人情」「団らん」を求める客を乗せ終点へと走る。この電車はどこから来て、どこへ行くのか。この廃線の姿は決して過去の光景ではない、という危機感が夕暮れとともに募ってくる。事実、地方のどこでも見近な日常の足が民営化、企業の不採算性・撤退、補助金減少などで消えていっている。既に高齢者や子供など交通弱者が移動できる手段は限られているのだ。確実に地域の火が沈黙しようとしている。

 こうして始発駅から折り返すころにはノスタルジーという気分はすっかり消えてしまった。陽はすっかり西に翳り、ハーフカメラのフィルムも使いきってしまった。車内も閑散な普段の姿を取り戻す。駅前の小さなスーパーにフィルムを買いに入った。精算を済ますとレジの若い女の子からお釣りと一緒にお年玉の包みを手渡された。

「これは?」

「ご年始です!」 と屈託の無い笑顔。

光にかざすと五円玉のシルエットが見える。・・・ご縁か。冷えた心に微かに灯がともる。人も地域もだれかと繋がっていたいのだ。

このご縁入りの包みは、まだ封を切られずに財布の中にある。

2007年2月20日火曜日

初心に帰って


 書きたいことがうずたかく心のダムに溜め込まれているのに、それを落ち着いて文章にすることができない、余裕の無い日々が続いてしまっている。このまま続くと堰が決壊しそうである。

 単純にスケジュールが混みあっているから、と思い込んでいたが、どうもそうではないようだ。
 誰が読むかも分からないネットのページ、「上手くまとめて」「多くの人に分かりやすく」「格好良く」と体裁ばかりを気にしすぎて膠着していたのかもしれない。
 このエッセイはそもそも設計やデザインを語る前に「人間」として日々どんな考えでいるかを、少しでも興味を持っていただいた人々に伝えたい為に設けたものだ。共感した人とものづくりをした方が良い仕事ができる可能性が高いし、エッセイへの賛成反対も含め「人とつながること」(最近僕は脳外シナプスと呼んでいる)の足がかりを期待しているからだ。

 言葉は難しい。人と人が分かりあうことはもっと難しい。だから理解されなかった時の失望を恐れ、人は口を閉ざし、あるいは多くの言葉の壁を築いてしまうのだろうか。知らない間に築いてしまった壁は、よほど豊かな耳を持つ人との出会わない限り気づきにくい。あぁ、かつて灼熱のインドの路上にいた23才の私は、「水を!」と世界に叫んでいたではないか。
 初心に帰って、新しい出来事も、大昔の出来事もできるだけ放出していこうと思う。言葉選びはできるだけ慎重にしたいと思うが、読みにくい文章になるかもしれない。何卒ご容赦を。

(メールで異論反論などコメントを頂ければ励みにもなります。)

 ということで今年初更新のエッセイ。
恒例の年賀状拙画を載せて、ア・ハッピー・ニュー・イヤー!(笑)