12月19日~20日にTOTO仙台ショールームで開かれた「家づくりを考える日~5人の家づくり+いろんな椅子展」が無事終了しました。
両日とも会場におりましたが、大変多くの方々とお話できて楽しいイベントでした。
ご来場ありがとうございました。
私は初めての展覧会でしたが、5人の建築家のブースにもそれぞれ個性があって、これも一つの住まいづくりにつながっているきっかけになっているかもしれませんね。
私のブースは写真パネル1枚と模型2点(20日に追加した)と簡素なものになりましたが、目玉は「…と暮らす日々」のフォトブック4冊。手にして読んでいた方々にとても好評でした。写真提供に協力いただいた住い手さんも来場されて、完成品を見ていただきました。感謝!
また、仕事を通じて出会った職人さんが持つ独自の知恵や経験を活かした技法である、オンドル・ペチカと、灯台ペイントのエピソードを紹介しました。これも多く関心を寄せていただきました。
木の仕事樹々さんの「バターナイフづくりワークショップ」も19日だけでしたが、常に参加者が作業していて盛況のご様子。参加者が木工の楽しさや難しさを、少しでも負担を軽く、安全に作業できるように道具が工夫されているところはとても参考になります。
4人の木工作家による椅子や有名デザイナーによる椅子など、これだけ多種多様な椅子が一堂に会するのは貴重な機会でしたね。
個人的には反省点も多々あるのですが、フォトブックなど自分なりのスタイルも提案でき、来場された皆さんや、他の建築家ともゆっくりお話できたりと、充実した展覧会でした。
さて、早くも次の企画の声も聞こえるようですね。
もっと実験的に、建築設計というフィルターを通して、家づくりや普段の暮らしを考え直すきっかけになるようなイベントが増えていくといいですね。
2010年12月25日土曜日
2010年12月10日金曜日
建築フォトブック「…と暮らす日々」
年末の建築展に向けて、設計した家の住まい手の皆さんの協力で、日々の暮らしの写真を撮影して頂いた。
設計者の目線では見えないシーンの連続に胸が熱くなった。
皆さんありがとうございました!
この写真アルバムのタイトルは「…と暮らす日々」にしました。
これまでも僕なりに、人が住宅を建てる魅力や、その意味、設計者と住い手の関わり方について色々考えてきた。あるいは、住い手や建築家としてのオリジナリティとか、個性とは一体何なのだろう、とか。
たしかに「住宅」は様々に解釈できるし、定義づけもできる。
それでもいつも何か足りないか、何か余計かのどちらかで、きっと真理といえるものは存在しないのかもしれない。
僕にとって住宅を設計することというのは、住い手の創造力の担い手となることとであると思っている。住い手の創造力の源は、住い手自身の生き方や暮らし方から自然に生まれでなくてはいけないはずだ。でもそれを簡単にことばや間取りに置き換えられる人なんて皆無だろう。だから設計前には僕自身を白紙にして、できるだけ話を交わすことに時間を割く。
じゃぁ、建築家としての個性って何だろう?
手がけた住宅を見てみれば、何となく僕のカラーは出ている。
でもそれよりもオンドルがあったり、断崖絶壁の上にあったり、1階全部ががらんどうだったり、とどれも負けず劣らずのキャラぞろいだ。
だから「個性」というのはきっと、僕と住い手との間に芽生えるもの、のようです。
「個性的」というのは、ワタシとアナタを区別する記号をさすのが一般的だけど、人は多面的で複雑な生き物だ。
だから僕という存在が、樹の根が土の中で広がるように、周りの様々な人と出会い、暮らすことで生まれる「関わりの形」こそが「個性」と捉えると、何だかもっと自由になれる気がする。
新しい人と出会い、絆を深めたり、仕事を変えたり、引っ越したり、と関わりの形が変われば、今の個性は昔の個性ではない。僕が東北に生まれ、カイコキイチという名前の持ち主であることは誰にも侵されないアイデンティティだけど、「関わりとしての個性」はどんどん変わっていける自由がある。しかもそのオリジナリティは唯一無二のもの。
そして「〇〇と一緒に暮らす」という行為こそ、誰にとってもオリジナリティあふれる形であり、そして創造的な行いなんだ、と気がついたのです。
(これも美術家の藤浩志さんのレクチャや、小さな街の小野さんの仕事と関わったからこそ気づいたかもしれない。)
設計士である僕はそれを形にする。
それが家をつくることなんだ。
だから住い手の皆さんから
「人から個性的な家だと言われるが、僕らにとっては自然に暮らせる家です。」
と聞くとすっと言葉が腹に入るし、とても嬉しい。
建築フォトブック「…と暮らす日々」はたった20ページで限定1部だけど、
住い手が撮影した写真すべてに、誰かとの暮らしの日々が写っています。
プロの写真家の目では絶対に撮ることのできない世界です。
設計者の意図した写真と対比する構成にしたのは、その違いを感じて欲しかったから。
ウェブで公開することは今後ありませんので、ぜひ会場で手にとってご覧になってください。
家づくりを考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」は今月19日と20日の二日間。
http://ienichi.sblo.jp/
僕は両日とも会場にいます。
設計者の目線では見えないシーンの連続に胸が熱くなった。
皆さんありがとうございました!
この写真アルバムのタイトルは「…と暮らす日々」にしました。
これまでも僕なりに、人が住宅を建てる魅力や、その意味、設計者と住い手の関わり方について色々考えてきた。あるいは、住い手や建築家としてのオリジナリティとか、個性とは一体何なのだろう、とか。
たしかに「住宅」は様々に解釈できるし、定義づけもできる。
それでもいつも何か足りないか、何か余計かのどちらかで、きっと真理といえるものは存在しないのかもしれない。
僕にとって住宅を設計することというのは、住い手の創造力の担い手となることとであると思っている。住い手の創造力の源は、住い手自身の生き方や暮らし方から自然に生まれでなくてはいけないはずだ。でもそれを簡単にことばや間取りに置き換えられる人なんて皆無だろう。だから設計前には僕自身を白紙にして、できるだけ話を交わすことに時間を割く。
じゃぁ、建築家としての個性って何だろう?
手がけた住宅を見てみれば、何となく僕のカラーは出ている。
でもそれよりもオンドルがあったり、断崖絶壁の上にあったり、1階全部ががらんどうだったり、とどれも負けず劣らずのキャラぞろいだ。
だから「個性」というのはきっと、僕と住い手との間に芽生えるもの、のようです。
「個性的」というのは、ワタシとアナタを区別する記号をさすのが一般的だけど、人は多面的で複雑な生き物だ。
だから僕という存在が、樹の根が土の中で広がるように、周りの様々な人と出会い、暮らすことで生まれる「関わりの形」こそが「個性」と捉えると、何だかもっと自由になれる気がする。
新しい人と出会い、絆を深めたり、仕事を変えたり、引っ越したり、と関わりの形が変われば、今の個性は昔の個性ではない。僕が東北に生まれ、カイコキイチという名前の持ち主であることは誰にも侵されないアイデンティティだけど、「関わりとしての個性」はどんどん変わっていける自由がある。しかもそのオリジナリティは唯一無二のもの。
そして「〇〇と一緒に暮らす」という行為こそ、誰にとってもオリジナリティあふれる形であり、そして創造的な行いなんだ、と気がついたのです。
(これも美術家の藤浩志さんのレクチャや、小さな街の小野さんの仕事と関わったからこそ気づいたかもしれない。)
設計士である僕はそれを形にする。
それが家をつくることなんだ。
だから住い手の皆さんから
「人から個性的な家だと言われるが、僕らにとっては自然に暮らせる家です。」
と聞くとすっと言葉が腹に入るし、とても嬉しい。
建築フォトブック「…と暮らす日々」はたった20ページで限定1部だけど、
住い手が撮影した写真すべてに、誰かとの暮らしの日々が写っています。
プロの写真家の目では絶対に撮ることのできない世界です。
設計者の意図した写真と対比する構成にしたのは、その違いを感じて欲しかったから。
ウェブで公開することは今後ありませんので、ぜひ会場で手にとってご覧になってください。
家づくりを考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」は今月19日と20日の二日間。
http://ienichi.sblo.jp/
僕は両日とも会場にいます。
2010年11月19日金曜日
家づくりについて考える日。「5人の家づくり+いろんな椅子展」
来月ですが、宮城県で活躍中の建築家とのグループ展に参加します。
日時 2010年12月19日(日)・20日(月) 10:00-17:00※20日は16:00まで
会場 TOTOショールーム(入場無料)
http://ienichi.sblo.jp/
建築家だけではなく、木工作家さんも作品を展示します。
クラフトワークショップもあります。
参加料:1000円
講師:木の仕事 樹々の斎藤さん
街はクリスマス一色の頃ですね。
サンタさんならぬ、他の建築家の皆さんと共に会場でお待ちしています。
TOTOショールームはこちら
大きな地図で見る
日時 2010年12月19日(日)・20日(月) 10:00-17:00※20日は16:00まで
会場 TOTOショールーム(入場無料)
http://ienichi.sblo.jp/
建築家だけではなく、木工作家さんも作品を展示します。
クラフトワークショップもあります。
「バターナイフを作ろう!」
12月20日(日)10:00-15:00参加料:1000円
講師:木の仕事 樹々の斎藤さん
街はクリスマス一色の頃ですね。
サンタさんならぬ、他の建築家の皆さんと共に会場でお待ちしています。
TOTOショールームはこちら
大きな地図で見る
2010年11月1日月曜日
トークイベントを終えて
仙台の喫茶店「アンビエン」で開催された「小さな街」企画のトーク&レクチャーを無事終えることができました。台風が迫り雨が降る中ですが定員満席となりました。お越しいただきありがとうございました。
予定時間を大幅に超えた、非常に濃密な3時間半でした。
今回のイベントは「小さな街」という、多彩な切り口で街に仕掛けてる小野さんからの提案で実現したものでした。私という個人の仕事や活動をアンビエンの数時間様々な人々と共有して、つながりや経緯をたどる事で個人が連なる社会の姿を明らかにして行く試みでした。
実際お集まり頂いた参加者の顔ぶれは本当に多様で、全く初対面の方から、旧知の職人さん、お施主さん、同業の方からNPOにお勤めの方など。まさに私にとっては360°から見つめられ、全てをさらけ出す様な場であり、まな板に乗った気分で過ごした時間でした。
私なりに建築の世界を手探りで歩いてきた10年間でしたが、こうして一般の方向けにお話してみると自分の軌跡が一貫して今に連なっていることに気付かされます。
ブログですら、私を語るというのはどこか面映いことですが、問われて初めて自分の言葉から発見したのは、私の生き方の姿勢、創作に臨むある種の習性でした。
それはまるで問い続けることで朧気な正解の輪郭を掘り進めていく行いに等しく、その中で確かな手応えを感じたものだけを頼りに創作や、社会活動を続けてきたように思います。
「人はなぜ建てようとするのか?」
「住まいとは何か?」
「ここで何が可能か?」
こんな前提とも言える素朴な疑問を自己に、または依頼者の方々に問い掛け、共に考えることで見えて来る障害や、問題、疑問、あるいは些細な「引っかかり」は、実は個々のアイデンティティの投影なのです。それを反転できれば、その土地、その人固有の魅力的なデザインにたどり着く。
形にすぐ現れるものでもない作業なので、見えて来るまでには確かに時間と根気が要ります。
レクチャーで聴いていた参加者のある方はその行いを「情熱的だ」といい、またある人は「根源的だ」ともいい、そしてまた「つなげる人」、はたまた「縄文的だ」とも。
でもそこはコーディネートしてくれた小野さんがとても客観的にまとめてくれていますので、小さな街のブログから引用させて頂きます。
僕がこのテーマで感じたことは、
やはり海子さんは「コミュニケーショ ン」の人であるという事。
では、海子さんのコミュニケーションの「特徴」とはなんだろう?
[中略]
(何に対しても)疑問を持つ事。そして(持った疑問を自身や相手に)
問い続ける事。もうひとつは、(海子さん)自身の「経験」を相手と
共有する事で導いているという事。
相手(お客様や業者さん)の事を時間をかけて知り、
[中略]
(何に対しても)疑問を持つ事。そして(持った疑問を自身や相手に)
問い続ける事。もうひとつは、(海子さん)自身の「経験」を相手と
共有する事で導いているという事。
相手(お客様や業者さん)の事を時間をかけて知り、
そこで見えてくる疑問(問題)を導くように自身の大きな経験で包み込んでいるのかな
と感じました。
この部分が相手に伝わり、海子さんへの「信頼」や「興味」に繋がるのだなと。
そこが海子さんのコミュニケーションの「特徴的」な部分なのではないのでしょうか。
【小さな街・anbienで過ごす1年ブログより】
温かなスープを食べながら…。 |
依頼者にとっての家づくりを旅に例えるならば、大手ハウスメーカーはパック旅行。それに対して私の仕事は冒険心あふれる一人旅のガイド。依頼者と共に、あるいは先行して目的地まで導く。図面はその為のプランや地図ともいえるでしょう。
そう思えば、これまでの数々の出会いが今の私の個性を形作っているのです。
これからどんな出会いや旅が待っているのか…。このレクチャーで見えてきた10年の蓄積を土台に更に積み重ね、今後も変化も吸収しながら進化していければ、と願っています。
それにしてもこうしたお話会の企画そのものも実に興味深かった!今回は自分自身がゲストでしたが、きっと文章や写真だけではない建築家の生の声や表情やためらいも含め、話を聞き、言葉を交わす場を一般の人は求めていると実感しました。
様々な人々からの声や発想で織りなす創造的な場。関心や価値観が交わりにくい現代社会ではとても意味があるのではないでしょうか。
無論、反省点もなかったわけではありません。
自分自身のコメントの帰結として「つなぐ」というワードを多用しすぎて、もっと肝心な「どうつなぐか」「どんな形でつなぐか」を端的に提示できなかったこと。また裏テーマとしていた「所有/共有=ひらく/とじる」の話題を触れるに留まったことなど。でもこれは改めて他の建築家や、あるいは多種多様なクリエータを交えたお話会の企画を、楽しい形で提供したいと考えています。
[参考資料]
時間配分が分からず紹介しきれなかった画像と書籍です。
アマゾンのボタンが煩わしいですが、詳細情報が掴めますのでそのままリンクしています。
・画像
・書籍
・BGM
2010年10月24日日曜日
沖縄のワークショップレポート
少し肌寒いくらいに秋が深まっていますが、夏盛りの8月に沖縄の沖縄市で子供向けのワークショップをしてきたレポートがアップされています。
ワークショップのタイトルが「基地の街で秘密基地づくり」という刺激的なものですが、
(政治的・思想的な企画ではありません。念のため)
大人の難しい思惑を現地の子どもたちは軽々と飛び越えていく逞しさを見せてくれました。
人が本来持っている、手近なものから自分たちの砦を作るという能力は、
決まった遊び方のゲームや安全大優先の遊具の中では得られない感覚です。
道具の使い方や、紐の縛り方など、現地の子どもたちに「技術」を伝えられていたら汗を流した甲斐があったというものです。
好きな沖縄の街で、味わった濃厚な5日間の記録です。
ご興味ある方は下記のリンクでお読みになれます。
アート屋台プロジェクト公式ブログ
コザレポート「わらばーたーと一緒に基地作り」
http://yatai2008.exblog.jp/12047781/
ワークショップのタイトルが「基地の街で秘密基地づくり」という刺激的なものですが、
(政治的・思想的な企画ではありません。念のため)
大人の難しい思惑を現地の子どもたちは軽々と飛び越えていく逞しさを見せてくれました。
人が本来持っている、手近なものから自分たちの砦を作るという能力は、
決まった遊び方のゲームや安全大優先の遊具の中では得られない感覚です。
道具の使い方や、紐の縛り方など、現地の子どもたちに「技術」を伝えられていたら汗を流した甲斐があったというものです。
好きな沖縄の街で、味わった濃厚な5日間の記録です。
ご興味ある方は下記のリンクでお読みになれます。
アート屋台プロジェクト公式ブログ
コザレポート「わらばーたーと一緒に基地作り」
http://yatai2008.exblog.jp/12047781/
2010年10月12日火曜日
仕事を語る
仙台のカフェ「anbien」で私の仕事を振り返るトーク&レクチャーの詳細が決まりました。
企画は「小さな街」の小野さん。 「仕事」を通してその人の「働き方」や「考え方」「生き方」などを独自の視点で深めていく企画の第1弾のゲストになるそうです。
気がつけばアトリエを開いて10年経ったんですね。(しみじみ…)
これまでの軌跡を振り返り、いま何を考え、これからどこに向かうか整理するにはいい機会を頂戴しました。
建築に留まらず、アートに関わること、子育てや街やコミュニティーのこれからを集まった方々とフランクに話し合えるような時間にしたいと考えています。
参加者を募集しています。親密なサイズの空間ですので、お気軽にお問い合わせください。
-----
「海子さんの仕事」
日時 10/30(土)18時~20時
会場 anbien
料金 ¥1,000(温かいスープ付き)
定員 10名
参加のご予約は、chii-sana-machi@mail.goo.ne.jpまで
ご連絡ください。
話し手 海建築事務所 S.E.A. Design and Build Office
代表 海子揮一
聞き手 小さな街 小野さん
【 anbien 地図 】
企画は「小さな街」の小野さん。 「仕事」を通してその人の「働き方」や「考え方」「生き方」などを独自の視点で深めていく企画の第1弾のゲストになるそうです。
小さな街プロジェクト「anbienで過ごす1年」
気がつけばアトリエを開いて10年経ったんですね。(しみじみ…)
これまでの軌跡を振り返り、いま何を考え、これからどこに向かうか整理するにはいい機会を頂戴しました。
建築に留まらず、アートに関わること、子育てや街やコミュニティーのこれからを集まった方々とフランクに話し合えるような時間にしたいと考えています。
参加者を募集しています。親密なサイズの空間ですので、お気軽にお問い合わせください。
-----
「海子さんの仕事」
日時 10/30(土)18時~20時
会場 anbien
料金 ¥1,000(温かいスープ付き)
定員 10名
参加のご予約は、chii-sana-machi@mail.goo.ne.jpまで
ご連絡ください。
話し手 海建築事務所 S.E.A. Design and Build Office
代表 海子揮一
聞き手 小さな街 小野さん
【 anbien 地図 】
2010年9月22日水曜日
恵み野「菜園生活」フェアへの参加
現在、宮城県岩沼市にある住宅分譲地「恵み野」の三軒茶屋西土地区画整理組合さんからのご厚意で、「菜園生活フェア」に海建築事務所も指定建築家の一人として参加させていただいています。
「恵み野」は海に近く、空が大きく広がる温暖な田園地帯にあります。高速道路の仙台東部道路に近く、かつての屋敷林が点在している散村の中に小中学校や郵便局など生活関連施設がぎゅっと詰まった若い街区です。
この新しい土地に住まわれる方は正しくこの街の歴史や文化を創り出していく中の一人になるはず。依頼があっての設計のお話ではありますが、そんな白紙に未来を描き出す責任感のようなものがこの土地を訪れると足元から込み上げてくるようです。
この「菜園生活フェア」は指定建築家または指定ハウスメーカーと家づくりをする方に特別価格で分譲するというもので、更にもれなく共同農園の畑の所有権もついてくるそうです。
今回参加される建築家は40代を中心にした、皆今後の宮城の住宅文化を担っていくクリエーターばかり。設計事務所での家づくりをプレゼンしたり、イベントを共同で企画していくお話もあり、改めて自分自身の設計に対する姿勢というのを見直す良い機会を得られたとも感じています。
カスタマーセンターに置かせていただいている自己紹介のリーフレットも苦心して作った成果のひとつ。
ここ最近Twitterへの投稿ばかりが多かったので、上のリーフレットをお題に改めて海建築事務所としてのデザインポリシーをこのブログで解説していこうと思います。
「恵み野」は海に近く、空が大きく広がる温暖な田園地帯にあります。高速道路の仙台東部道路に近く、かつての屋敷林が点在している散村の中に小中学校や郵便局など生活関連施設がぎゅっと詰まった若い街区です。
この新しい土地に住まわれる方は正しくこの街の歴史や文化を創り出していく中の一人になるはず。依頼があっての設計のお話ではありますが、そんな白紙に未来を描き出す責任感のようなものがこの土地を訪れると足元から込み上げてくるようです。
この「菜園生活フェア」は指定建築家または指定ハウスメーカーと家づくりをする方に特別価格で分譲するというもので、更にもれなく共同農園の畑の所有権もついてくるそうです。
詳しくは下記の連絡先にお問い合わせください。最新情報を発信しているブログも必見ですよ。
カスタマーセンター「恵み野館」
お問い合わせ
TEL.0223-25-5855
お問い合わせ
TEL.0223-25-5855
今回参加される建築家は40代を中心にした、皆今後の宮城の住宅文化を担っていくクリエーターばかり。設計事務所での家づくりをプレゼンしたり、イベントを共同で企画していくお話もあり、改めて自分自身の設計に対する姿勢というのを見直す良い機会を得られたとも感じています。
カスタマーセンターに置かせていただいている自己紹介のリーフレットも苦心して作った成果のひとつ。
ここ最近Twitterへの投稿ばかりが多かったので、上のリーフレットをお題に改めて海建築事務所としてのデザインポリシーをこのブログで解説していこうと思います。
2010年9月15日水曜日
海建築事務所ホームページのアドレスの変更
9月15日付けで海建築事務所のホームページのアドレスを引越ししました。
お手数ですが、ブックマークやお気に入りの変更をお願いします。
新しいアドレスは下記の通りとなりました。
http://www.sea-designs.com/
今後もよろしくお願いします。
お手数ですが、ブックマークやお気に入りの変更をお願いします。
新しいアドレスは下記の通りとなりました。
http://www.sea-designs.com/
今後もよろしくお願いします。
2010年6月25日金曜日
小さな家族への眼差し
キッチンの流しの前にある小さな窓。
外には目に鮮やかなカエデの緑と、物置の側面に取り付けられた温度計と小さな鏡。
暮らして半年のお宅に訪れた際、思わず撮影。
住まい手のご家族が工夫されて取り付けられたそうです。
窓ガラスで仕切られていても、大切な小さな家族。
設計でも彼(パグ犬)の為に納戸を寝床にしたり、リビングで様子を見られる窓を設
けたり様々な仕掛けを盛り込んでいましたが、生活の中で多くいる厨房のシンク前に
このアイディア。
この手鏡のような「窓」を通して、優しい眼差しでつながっていることが素直に伝わ
ってきました。
外には目に鮮やかなカエデの緑と、物置の側面に取り付けられた温度計と小さな鏡。
暮らして半年のお宅に訪れた際、思わず撮影。
住まい手のご家族が工夫されて取り付けられたそうです。
窓ガラスで仕切られていても、大切な小さな家族。
設計でも彼(パグ犬)の為に納戸を寝床にしたり、リビングで様子を見られる窓を設
けたり様々な仕掛けを盛り込んでいましたが、生活の中で多くいる厨房のシンク前に
このアイディア。
この手鏡のような「窓」を通して、優しい眼差しでつながっていることが素直に伝わ
ってきました。
2010年6月8日火曜日
ゆうと君を救う募金
私の知人の甥っ子さんが、重篤な難病で困っています。
特発性拡張型心筋症という難病で、心臓の筋肉が薄くなり、心臓が拡張してポンプ機能が低下し、全身への血液循環が悪化する進行性の病気で、もっとも重篤な心臓の病気です。
5歳の彼「ゆうと君」が救われるにはは米国に渡り、心臓移植手術を受ける以外になく、その高額な資金を集めるために広く募金を呼びかけています。
http://www.yuto-save.jp/index.html
(ゆうとくんを救う会の公式H.P)
この日曜日に生まれて初めて街頭募金のお手伝いをさせて頂ましたが、手から手に引き継がれる思いやりを肌で感じることができました。後日、闘病中のゆうと君の写真の眼差しを見て、その生命の輝きにむしろ逆に勇気づけられた気がしています。単なる善意の助け合い、という見方だけでなく、この社会でのつながりに血を通わせるような体験でした。
移植という考え方への是非の議論もあるかとは思いますが、善意の提供というのは、どれだけ相手先へのイマジネーションを持てるかどうか、ということかもしれません。ささやかながらその一助を担えればとも考えています。
とはいえ命の砂時計も余裕ある状況ではありません。
情報の身近な方々への周知と募金活動の支援をお願いします。
2010年3月24日水曜日
薪の調達と家が開くこと
急なお知らせにも関わらず、河段の家でのペチカ公開と薪置き場づくりの日は天気にも恵まれ、無事過ごせました。
実のところは薪ストーブが要らない位に暖かな日で、ペチカのレンガに蓄熱された余熱で十分でした。こういった企画はもっと厳しい寒さの時期にした方がより楽しめそうですね。次のシーズンにも考えてみたいと思います。
薪置き場は本体工事の付帯ではあるのですが、諸事情により基礎と木材のプレカット以外は素人のホビー。思わぬ大工仕事ワークショップとなりました。
(薪置き場はまだ完成していませんので、継続中)
ほぼこの置き場をいっぱいにして1シーズン分の薪250束分の計算です。多いようにも思えますが、主暖房の薪ストーブ用としてはかなり少ない方。これも蓄熱体(ペチカ)との組み合わせがあるからこそ。
バイオマス利用、CO2削減、脱石油として流行りつつある薪ストーブですが、実際所有すると薪集めに奔走する労力だけでも負担になりかねません。火を焚く愉しみもありますが、限られた資源は効率良く使いたいものです。
実際アフターフォローとして、薪ストーブを導入したクライアントさんの為に山で薪を生産している団体とのマッチングもしています。直接丸太を購入したり、あるは協働で薪作りをした方が費用も安く済むし、なにより山そのものを体感できる。実際の山林の状況を知った上で、日々の温もりの火を愛でることができるのです。こんな学びの機会は得ようと思っても得られるものではありません。
街と森をつなぐ有効な装置として、薪ストーブはもっと着目さていくでしょうし、針葉樹の間伐材も使えるストーブの改良が待たれます。
ペチカもオンドルも共通に言えますが、技術万能のものではなくローテクで設計としては不便な設備ですが、消費エネルギーを抑え蓄熱して有効に使おうとすると、自然に家はワンルームの様にオープンな設計になっていきます。家内部に留まらず、薪調達という必然性が家と地域をつなぎ、内外にオープンな「家を開く」仕組みになる可能性に設計者として魅力を感じざるを得ません。
実のところは薪ストーブが要らない位に暖かな日で、ペチカのレンガに蓄熱された余熱で十分でした。こういった企画はもっと厳しい寒さの時期にした方がより楽しめそうですね。次のシーズンにも考えてみたいと思います。
薪置き場は本体工事の付帯ではあるのですが、諸事情により基礎と木材のプレカット以外は素人のホビー。思わぬ大工仕事ワークショップとなりました。
(薪置き場はまだ完成していませんので、継続中)
ほぼこの置き場をいっぱいにして1シーズン分の薪250束分の計算です。多いようにも思えますが、主暖房の薪ストーブ用としてはかなり少ない方。これも蓄熱体(ペチカ)との組み合わせがあるからこそ。
バイオマス利用、CO2削減、脱石油として流行りつつある薪ストーブですが、実際所有すると薪集めに奔走する労力だけでも負担になりかねません。火を焚く愉しみもありますが、限られた資源は効率良く使いたいものです。
実際アフターフォローとして、薪ストーブを導入したクライアントさんの為に山で薪を生産している団体とのマッチングもしています。直接丸太を購入したり、あるは協働で薪作りをした方が費用も安く済むし、なにより山そのものを体感できる。実際の山林の状況を知った上で、日々の温もりの火を愛でることができるのです。こんな学びの機会は得ようと思っても得られるものではありません。
街と森をつなぐ有効な装置として、薪ストーブはもっと着目さていくでしょうし、針葉樹の間伐材も使えるストーブの改良が待たれます。
ペチカもオンドルも共通に言えますが、技術万能のものではなくローテクで設計としては不便な設備ですが、消費エネルギーを抑え蓄熱して有効に使おうとすると、自然に家はワンルームの様にオープンな設計になっていきます。家内部に留まらず、薪調達という必然性が家と地域をつなぎ、内外にオープンな「家を開く」仕組みになる可能性に設計者として魅力を感じざるを得ません。
2010年3月16日火曜日
急募「ペチカを体験できる日」
春分の日も近いですね。一雨ごとに春めいてきています。
さて去年の7月に竣工直後に「住まい開き」という見学会を開いた「河段の家」ですが、そのシンボルであるペチカ(ロシア式壁蓄熱型薪暖房)が大活躍してくれました。春近いとはいえまだ3月。河岸段丘の木々の緑の葉は今はなく、絶景といえる眺望が堪能できます。夏に見学に来て頂いた方に、ぜひペチカと薪ストーブの暖かさと冬の眺望を味わって頂けないものか・・・。
そこで体験していただける日を1日設けてみました。
◎3月22日(祝)10時頃から日没まで
場所は仙台市JR愛子駅近く。
でも急ごしらえの企画で、かつ純粋な見学会ではありませんので、こんな条件で良かったら・・・、という前提でお申し込みください。
その1 もれなく薪置き場の組み立て作業が見られます。手伝えます。
その2 事前申込の方のみ限定です。前日まで連絡お願いします。
その3 陽だまりの暖かさと讃えられるペチカを体感できます。極上のオーディオも視聴できるかも知れません。
その4 私(海子)は外の作業に忙殺されてゆっくりお話できないかも知れません。
その5 差し入れ歓迎です。
その6 悪天候時は翌週に順延の予定です。
その7 駐車場を借りる予定は今のところありません。
注文ばかりで・・・申し訳ありません。
でも冬の家もちょっとだけ見たいという方でもかまいません。のんびりお待ちしております。
とりあえず関心があるかたはメールにてお問い合わせください。
to_sea_office@ybb.ne.jp 海子まで
2010年3月8日月曜日
狸庵 冬のアルバム
友人を伴って冬2度目の訪問です。
友人たちは2日目に帰って行きましたが、私たち家族は次の日まで滞在させて頂きました。
それまで春のような温かさでしたが、この日には急に雪が降ってまわりの景色が一変。
なのに逆行するかのように、この日は居久根の落ち枝の片付けにかこつけて焚き火三昧。寒そうに見えますが、実際はとっても暖かいのです。
狸庵のオンドル(床蓄熱型薪暖房)は常夏のような暖かさで実に快適なのですが、たまには冬の冷たさを楽しむのもいいかな、と思ってのことですが、これも暖かな家があればこそ。
でも、焚き火はここでの石窯作りのきっかけになればいいな、という策略もあったりして。
おまけは娘の写真。狸庵の猫たちと遊ぶ間にすっかり猫になりきったようで、キャットドアの意外な活用方法を発見することに・・・。
2010年2月26日金曜日
木を見て森を見ず
先日参加した「仙台の森林を観る会」と「反景観論」の話。
近年の世相の動向としてこれほどコミュニケーションやネットワーク、結(ゆい)の復権が叫ばれ、つまり横へのつながりが求められているが、縦(時間的な構築)へのつながりの話が少ない気がします。例えば生産したものが長い時間周囲に影響を与え続けていく。建築自体もそうだが、植林は特にその気の長くなる時間で「環境」を作り守っていく営みそのものなのです。
だから人の手で大事に育てられた林の中に立つと、そびえる木立の高さよりも掛けられた時間の壮大さに言葉を失ってしまうのです。
だから花粉症で杉や檜が徹底的に敵視されることは非常に悲しいことだし、グランドデザインすら共有せずに行政の失敗を挙げ連ね、モータリゼーションや隣国の大気汚染に歯止めできない現状のスケープゴートにすらなっている感があるのです。
我々が理想とする里山のイメージ、雑木林があって、山菜が豊富で、子どもが駆け回るようなイメージは明治までは、村落の限られた人々の為の、人々の手による共有財産(入会林)でした。租税改正でそれが一握りの人に「所有」されたことで、「持つ者」「持たぬ者」にコミュニティ自体が引き裂かれてしまった「縦」の経緯があります。私有林で大事に山を保っている人がいる一方で、放置され憎まれる暗い山林がある。グローバル経済至上主義に沿わず、都市との連携や民意による第三の道をさぐるなら「所有」という考えに切り込まなくてはならないはず。社会の仕組みに根ざす非常に困難な課題です。
「観る会」で十分に話せなかったことは、家づくりでの土地選びですら、そこに生きていくという必然性が希薄になっているのに、単純に地産地消という価値だけを声高にすることへの違和感、両者のコミットメントが工事完了と共に途絶えてしまう違和感を感じている点。その違和感を解消するためには、排他主義に陥らないようもっと幅広い人の交流とアイディアが生まれて欲しい点でした。
(居住後の山と人をつなぐ仕組みとして薪暖房は実に有効なのだが、その考察については後日記したい。)
一方で拝見した美林を歩けば、光が下草まで届くので実に豊かな植生が見られました。名取の山林には以前紙漉きに利用していたミツマタの群生があり、黄色いつぼみがまるでイルミネーションみたいにまばゆい。僕なんかは花粉症の症状が治まり、清涼な空気にマスクを外したほど。
机上で憂うことよりも、ずっと多くの魅力と可能性がひっそりと息づいているのも、また事実なのです。
(7月13日加筆)
近年の世相の動向としてこれほどコミュニケーションやネットワーク、結(ゆい)の復権が叫ばれ、つまり横へのつながりが求められているが、縦(時間的な構築)へのつながりの話が少ない気がします。例えば生産したものが長い時間周囲に影響を与え続けていく。建築自体もそうだが、植林は特にその気の長くなる時間で「環境」を作り守っていく営みそのものなのです。
だから人の手で大事に育てられた林の中に立つと、そびえる木立の高さよりも掛けられた時間の壮大さに言葉を失ってしまうのです。
だから花粉症で杉や檜が徹底的に敵視されることは非常に悲しいことだし、グランドデザインすら共有せずに行政の失敗を挙げ連ね、モータリゼーションや隣国の大気汚染に歯止めできない現状のスケープゴートにすらなっている感があるのです。
我々が理想とする里山のイメージ、雑木林があって、山菜が豊富で、子どもが駆け回るようなイメージは明治までは、村落の限られた人々の為の、人々の手による共有財産(入会林)でした。租税改正でそれが一握りの人に「所有」されたことで、「持つ者」「持たぬ者」にコミュニティ自体が引き裂かれてしまった「縦」の経緯があります。私有林で大事に山を保っている人がいる一方で、放置され憎まれる暗い山林がある。グローバル経済至上主義に沿わず、都市との連携や民意による第三の道をさぐるなら「所有」という考えに切り込まなくてはならないはず。社会の仕組みに根ざす非常に困難な課題です。
「観る会」で十分に話せなかったことは、家づくりでの土地選びですら、そこに生きていくという必然性が希薄になっているのに、単純に地産地消という価値だけを声高にすることへの違和感、両者のコミットメントが工事完了と共に途絶えてしまう違和感を感じている点。その違和感を解消するためには、排他主義に陥らないようもっと幅広い人の交流とアイディアが生まれて欲しい点でした。
(居住後の山と人をつなぐ仕組みとして薪暖房は実に有効なのだが、その考察については後日記したい。)
一方で拝見した美林を歩けば、光が下草まで届くので実に豊かな植生が見られました。名取の山林には以前紙漉きに利用していたミツマタの群生があり、黄色いつぼみがまるでイルミネーションみたいにまばゆい。僕なんかは花粉症の症状が治まり、清涼な空気にマスクを外したほど。
机上で憂うことよりも、ずっと多くの魅力と可能性がひっそりと息づいているのも、また事実なのです。
(7月13日加筆)
2010年2月25日木曜日
人形は瞬(まばた)かない
ネットワーク上の情報の価値とは質より量が勝る。
それが良いはずは無いのだが、現状認識をした上で新たな可能性を求めてみたい。
これらは私が主宰しているアートプロジェクトで全国の同士らと交流を得て実感したこと。
一方でこれらのツールは「すでに脚色・編集された情報」でしかないので、直接会う行為に勝ることは絶対にありません。むしろ現実に会って過ごす時間と空間の質が問われてくるかも知れません。
ますます建築の持つ身体性と関係性が期待され、訴求されてくることでしょう。
そうなると共に暮らす家族とは何か?とも改めて考えたくなる。
「自分が自分であるためには驚くほど多くのものを必要とする」
(攻殻機動隊GOHST IN THE SHELLでの主人公のセリフ)
という声は、社会と自然とのつながりが薄れるにしたがって、相対的自己肯定が高まっている現れでしょうか…。
しかしどんな建築物でも、愚直にそこにあり続ける。うつろいゆく世相や情勢に比べて長い時間向きあう人と場の関係を結び続け、あるいは位置づける。(社会でこれが行き過ぎると環境管理型権力社会・アーキテクチャ化、なんてことにもなるらしい。)
可能性を含みつつも、そんな絶対的な特性があるという基本を忘れてはなるまい、と自戒しておきたいこのインタラクティブな今日この頃です。
それが良いはずは無いのだが、現状認識をした上で新たな可能性を求めてみたい。
これらは私が主宰しているアートプロジェクトで全国の同士らと交流を得て実感したこと。
一方でこれらのツールは「すでに脚色・編集された情報」でしかないので、直接会う行為に勝ることは絶対にありません。むしろ現実に会って過ごす時間と空間の質が問われてくるかも知れません。
ますます建築の持つ身体性と関係性が期待され、訴求されてくることでしょう。
そうなると共に暮らす家族とは何か?とも改めて考えたくなる。
「自分が自分であるためには驚くほど多くのものを必要とする」
(攻殻機動隊GOHST IN THE SHELLでの主人公のセリフ)
という声は、社会と自然とのつながりが薄れるにしたがって、相対的自己肯定が高まっている現れでしょうか…。
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しかしどんな建築物でも、愚直にそこにあり続ける。うつろいゆく世相や情勢に比べて長い時間向きあう人と場の関係を結び続け、あるいは位置づける。(社会でこれが行き過ぎると環境管理型権力社会・アーキテクチャ化、なんてことにもなるらしい。)
可能性を含みつつも、そんな絶対的な特性があるという基本を忘れてはなるまい、と自戒しておきたいこのインタラクティブな今日この頃です。
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