2004年7月5日月曜日
川猫マス尾のエッセイ 第1回
[地域情報マガジンWindsの宮城県名取市担当時代のエッセイを転載]
我が輩はカワネコである。名はマス尾。
宮城県ナトリ市の増田川に住んでゐる。
かつて増水で溺れた時、川の神様から神通力を授かった。それからは人語も理解し、インターネットにもアクセスできるようになった。
好物は焼き鳥である。近所の焼き鳥屋の親爺が「なんてぇマズい面のネコだ。」とつぶやきながら、毎日余った肉を分けてくれる。お陰ですっかり肥満体になってしまった。
我が輩にはいくつか名前がある。 焼鳥屋の親爺からは「ミヨコ」。車椅子の婆さんからは「シロ」。近所の悪ガキからは「ブタねこ」または単に「ブタ」。
「マス尾」とつけたのは建築家の溜息先生である。(彼は気分転換にカメラを持って休憩にくるのだが、仕事を失ってはタメ息ひとつ、仕事が溜まってはタメ息ひとつ、と毎日タメ息を川に捨てに来る。)
このように人間達は勝手に名前をつけたがるのだが、これは名前をつけることで安心するという習性があるようだ。川を例にとれば、「地形の低いところに水が集まり、あるいは地下水が溢れて作り出す流れ」とイチイチ認識してはおれないので、ただ「川」と名付け、大半の人は「あ~川ねぇ。」ということでそれ以上考える習慣がない。
我が輩からすれば、人間達は名前や肩書きに縛られ、行動や視野を狭くしているようにしか見えない時がある。もし彼らがネコや野鳥や魚になったつもりで、まだ名前の無い世界を見ることが出来たなら・・・。
首をくくらんとするお父さんの何人かは正気を取り戻し、
人を傷つけんとする若者の何人かはナイフをカバンにしまい、
ゴミを棄てんとする子供の何人かは逆に拾ってくれる、に違いない。
ちなみに我が輩がマス尾と名乗るのは、単純に気に入っているからである。そして我が輩にとって「川」とは、家であり、学校であり、光であり、音楽なのである。
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