河段の家、通称「ペチカの家」のシンボルに、とうとう火が点る日が来ました。
土間に鎮座するレンガ積みの本格ペチカには薪ストーブが接続されています。その排気熱をレンガに蓄熱することで暖房効率を上げ、排煙と燃料の薪を減らす効果が期待できる装置です。その圧倒的な存在感と重量感はこの家のシンボルに相応しい・・・。
薪ストーブはフランスのアンヴィクタ製スドン15。これも初稼働。
私が現場に到着した頃には接続されて既に火が入っていました。残念!
普通のストレスのない煙突と異なり、抵抗が大きい煙道を使うため、独特のコツが要ります。
この日は夏日の為、あっという間に2階の温度が上昇。窓を開けた風が気持ち良い。(笑)
吹抜けで上がった暖い空気は、もう一方の吹抜けである階段のシーリングファンで1階に循環させます。ペチカの裏側は寝室になっています。
(翌々日伺うと、次の日の朝までキチンとレンガに蓄熱されていたそうです。)
あとはストーブ使いの習熟と薪調達が住まい手に課されているわけですが、焦らずのんびり付きあってくださいね。
今回の試運転と説明の為に、このペチカを積んだ職人の木村さんが盛岡から来てくれました。
1年にあるかないかというペチカの製作。技術の伝承もなかな捗らないとか。高齢ゆえ作れても「あと5年だな」とも。
職人の「技の火」も消したくないものです。
2009年9月28日月曜日
5年ぶりの柿渋作り
白石の町遊び企画集団、蔵富人(くらふと)へ久々の参加です。
この5年余り地元の白石和紙に着目して、その普及の為の活動をしてきましたが、和紙の染めや補強に使う「柿渋」が底を尽きもう一度作ることになったのです。
そう白石は柿も特産なのです。本場京都でも柿を摘むところから柿渋作りに関われるなんて、そうある機会ではないでしょうね。
特にタンニンが多く含まれ柿渋に向いている「豆柿」を地元の農家のご厚意で摘ませて頂きました。
小さな木なのにドングリ大の実がびっしり成っています。
種が未成熟な青いものが適しているそうです。お彼岸前に収穫が鉄則と、和紙作りの遠藤まし子さんから教えられましたが、なんとかセーフの様です。
有り難く学生さんと一緒に、みんなで取り尽くしました。提供していただきありがとうございました。
実を選別して持ち帰り、丁寧に洗い、ジューサーに掛けて果汁を絞ります。前回貯蔵した古瓶をひっくり返すとオリで固まった柿渋が出てきました。5年ものの古柿渋を舐めてみると、すっかり角が取れたいぶし銀の渋い味。
時間切れで途中退場しましたが、腐らずにいい柿渋になることを祈って熟成を待つことにしましょう。
柿(渋)は食品加工・染色・防水・塗装・薬と最強の万能選手。日本のオリーブともいえるかもしれませんね。
この5年余り地元の白石和紙に着目して、その普及の為の活動をしてきましたが、和紙の染めや補強に使う「柿渋」が底を尽きもう一度作ることになったのです。
そう白石は柿も特産なのです。本場京都でも柿を摘むところから柿渋作りに関われるなんて、そうある機会ではないでしょうね。
特にタンニンが多く含まれ柿渋に向いている「豆柿」を地元の農家のご厚意で摘ませて頂きました。
小さな木なのにドングリ大の実がびっしり成っています。
種が未成熟な青いものが適しているそうです。お彼岸前に収穫が鉄則と、和紙作りの遠藤まし子さんから教えられましたが、なんとかセーフの様です。
有り難く学生さんと一緒に、みんなで取り尽くしました。提供していただきありがとうございました。
実を選別して持ち帰り、丁寧に洗い、ジューサーに掛けて果汁を絞ります。前回貯蔵した古瓶をひっくり返すとオリで固まった柿渋が出てきました。5年ものの古柿渋を舐めてみると、すっかり角が取れたいぶし銀の渋い味。
時間切れで途中退場しましたが、腐らずにいい柿渋になることを祈って熟成を待つことにしましょう。
柿(渋)は食品加工・染色・防水・塗装・薬と最強の万能選手。日本のオリーブともいえるかもしれませんね。
2009年9月7日月曜日
烏兎の森の家 上棟式
晴天に恵まれ、人々の笑顔に包まれた、いい上棟式でした。
普段は式典の中心にいることはないのだが、今回クライアントさんの依頼で全体の進行役を担うことに。確かに式そのものが激減している状況では、何から始めれば検討もつかないというのも、実に当然のことです。
そこで色々調べてプログラムを作ってみると、上棟式にも本格的な神主によるものから、工事の棟梁による簡略なものまで幅広く、その選択は結局「お施主様」の気持ち次第、とこれまたやっかいな基準に基づいている・・・。
上棟式の形式は、家の構造の多様化と、工程の産業化・複雑化に合わせて変化してきた。かつては1日で組み上げるものという習わしが、式典と建方を分ける傾向になっているのがその顕著な例です。
しかし工事の安全と、その土地に住まいを占めうることへの「天地人への許し」を乞うものであることは変わりないはず。
確かに工事費以外に出費を伴うのは、クライアントさんには少なくない負担を強いることです。しかし、工事期間は住まいの寿命からすれば本当に短いもので、殆どの柱や梁はすぐに壁の中に隠れてしまう。作り手とも人間的な関わりを結ぶことなく、その浅い関係で出来上った物に果たしてすぐに愛着を持てるだろうか?という素朴な疑問を常に抱いてしまうのです。
これは地域との関係でも同じことで、知らぬ間に建って、知らぬ間に解体されることばかりが続くと、その土地に生きる人の「共通の記憶=物語」という物が薄らいでしまうのではないでしょうか?
一個人だけでは解決できないことですが、少なくとも餅拾いに参加した子供達にとって、「1つの家庭が新たに住まいを始める喜び」を包む、幸福な空気をいつまでも覚えてくれることでしょう。
この日が家づくりの物語の1ページに加えられ、愛される家に少しでも近づけば、これほど嬉しいことはありません。
さて、肝心の式典ですが、私のぎこちない司会でなんとか進行し、直会では「返礼の余興」として、(ご近所に少しはばかりながらも)創建築の若生社長によるギター弾き語り、私のノコギリ音楽、伝統的な謡曲「四海波」、そして最後に棟梁による「さんさ時雨」の祝い歌と、簡素ながらもバラエティー豊かなものになりました。
普段は式典の中心にいることはないのだが、今回クライアントさんの依頼で全体の進行役を担うことに。確かに式そのものが激減している状況では、何から始めれば検討もつかないというのも、実に当然のことです。
そこで色々調べてプログラムを作ってみると、上棟式にも本格的な神主によるものから、工事の棟梁による簡略なものまで幅広く、その選択は結局「お施主様」の気持ち次第、とこれまたやっかいな基準に基づいている・・・。
上棟式の形式は、家の構造の多様化と、工程の産業化・複雑化に合わせて変化してきた。かつては1日で組み上げるものという習わしが、式典と建方を分ける傾向になっているのがその顕著な例です。
しかし工事の安全と、その土地に住まいを占めうることへの「天地人への許し」を乞うものであることは変わりないはず。
確かに工事費以外に出費を伴うのは、クライアントさんには少なくない負担を強いることです。しかし、工事期間は住まいの寿命からすれば本当に短いもので、殆どの柱や梁はすぐに壁の中に隠れてしまう。作り手とも人間的な関わりを結ぶことなく、その浅い関係で出来上った物に果たしてすぐに愛着を持てるだろうか?という素朴な疑問を常に抱いてしまうのです。
これは地域との関係でも同じことで、知らぬ間に建って、知らぬ間に解体されることばかりが続くと、その土地に生きる人の「共通の記憶=物語」という物が薄らいでしまうのではないでしょうか?
一個人だけでは解決できないことですが、少なくとも餅拾いに参加した子供達にとって、「1つの家庭が新たに住まいを始める喜び」を包む、幸福な空気をいつまでも覚えてくれることでしょう。
この日が家づくりの物語の1ページに加えられ、愛される家に少しでも近づけば、これほど嬉しいことはありません。
さて、肝心の式典ですが、私のぎこちない司会でなんとか進行し、直会では「返礼の余興」として、(ご近所に少しはばかりながらも)創建築の若生社長によるギター弾き語り、私のノコギリ音楽、伝統的な謡曲「四海波」、そして最後に棟梁による「さんさ時雨」の祝い歌と、簡素ながらもバラエティー豊かなものになりました。
2009年9月1日火曜日
烏兎の森の家 上棟式のお知らせ
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