2009年6月30日火曜日

MJと私

 ティーンエイジの記憶を彩ったマイケル・ジャクソンが死に、ワイドショーが奇聞に彩られる今、「悲劇の帝王」というキャッチコピーばかり霧のように立ちこめて、ますますMJの人間性そのものが霞んで行くように思う。

 かく言う自分がどれだけ思い入れがあったかというと、中学生だった当時は熱心なファンどころかテープにダビングして身近に聞くことも無かった。むしろあの機械的なダンスや音楽のビートが不得意で、特に黒人であるはずなのにどんどん変形していく容姿に不気味さえ感じていて、とても共感できるものではなかった。

 しかし彼の「白肌」が私と同じ「尋常性白斑」によるものと最近知った。

 顔面を徐々に変色させていく無痛の病気へのコンプレックスは、私の思春期の人間形成に深く影響している。特に親が気にして、医者を変え、無理だと知るとカバーメイクを強く奨めた。そうして私は中学生ながら毎日化粧をして学校に通うようになった。
 その呪縛が解けたのは23才になって海外を放浪してからだ。様々な価値観の世界を通り抜けることで、世界はもっと様々な肌の色と境遇の人々に溢れていることを体感したからだ。オリジンであることをもっと誇りに思っていいと悟り、今ではどうでも良い話の類になっている。




 きっとMJは黒人であることにアイディンティティーの拠り所としつつも容姿の病変と差別の両面から隠さざるを得なかったことだろう。彼の血のにじむような努力や才能については凡人が語れば語るほど空しくなるが、複雑に屈折していたマイケル少年の気持ちは、そんな奇妙な軌跡の一致をみて、その1点のみにおいて自分と体温が伝わるような共感を初めて持つことができたのだ。

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