2006年9月7日木曜日

一期一品


 設計事務所として7年目に入る。そのスタートは一部屋のリフォームから始まったが、建築士としての道のりは細く曲がりくねり、先達も灯明もない、まさしく手探りで歩んでいる道のりである。

 「美しくて当たり前」の世界を知る一方で、デザインとは無縁の依頼者に葛藤を感じる仕事も多かった。しかしここ数年になってようやく、他者の大事な資金を使って他者の住まいをデザインするという営みの中にも創造の価値を実感するようになってきた。
 僕に設計を依頼したい方の多くは既成のものでは満たされない「Somethings」を抱えている。そのモヤモヤな世界から具現化するのが私の役目である。どちらかというと助産士に近い。だから机上のデザインよりも、個々の依頼者との出会いの形に、自分のモノづくり人としての足掛かりを見いだしたいと考えるようになった。


 最近の方針は、図面に入る前の依頼者との会話に多くの時間を費やすようにしている。過去の作品を見て問い合わせを頂くこともあるが、それでも直接の会話を重視したい。会話の中身は具体的な建築の話よりも、関心があること全てに広がる。「画期的な突出したデザイン」が生まれるかどうかは、その会話の先にあり、第一優先ではない。時には意見のぶつかり合いを経ても、掛けた時間に比例して、依頼者が抱く完成後の建物への愛着度や理解度は他よりも増すのではないかと思う。性能を誇るよりも愛すべき一点を見つけて頂ければ設計士冥利に尽きる、と思う。

 僕のHP中にある「WORKS」はまさしくその出会いの道程そのものである。「作品」という言葉に設計者の傲りを感じる方は少なくないが、僕は胸を張っていうことができる。「WORKS」は僕と依頼者の「共同の作品」だ、と。
 実際、このペースで一生やれても100件には到底たどり着かないだろう。だからこそ道程の先にどんな依頼者との出会いがあるか、本当に楽しみである。

2006年3月19日日曜日

現代ケイタイ考


使っている携帯電話が老朽化していて、先日ついに機種変更した。
今回もドコモのNOKIA製(NM850iG)を選んだ。
同社のNM206、NM502iと、初めてケイタイを使い初めてからNOKIAばかりを使ってきた。 理由はそのボディデザインとツールとしての人との距離感である。

その製品全てではないが、手にしっくりとくるボディデザインが多い。
新機種を持ってみると実に絶妙な「持ち心地」がある。
まるで陶芸で粘土の固まりをぎゅっとつかんで、 手から絞り出されたような感覚。
親指の付け根の腹・人差し指・中指の3点で固定され、 親指一本で楽にタッチできる。
しかも左右の手を持ち替えてもさほど違和感がない。
まるで「情報の手」と握手しているような感覚。

購入して数日しか経たないが、 すでに手の感触になじんでしまった気がする。
こうなると日本のケイタイがTVのリモコンの類に見えてしまう。
最近は意匠の華やかさは増した感はあるが、
表面を除けば既成の操作性から何も進歩していないのではないだろうか。
それがNOKIAの「一掴み」でストレートに感じてしまったのだ。
同じ北欧の家具といい、この手のこだわり方が実に優れている。

反面、NM850iは今回DoCoMoブランドで出されたことで、
機能が大幅に制約されたものとなった。
(カメラの画像をメールに添付できないなんて!)
NOKIAのオリジナルのモデルは、
話せる文房具(PDA)=スマートフォンというコンセプトがデザインの軸となっている。
まるで通信料を払わなくても使える機能をドコモが阻むかのようにさえ映る。
文房具の進化形であるNOKIAと、情報(=テレビ)リモコン化する日本のケイタイ。
単なる端末のデザインから、
個人の情報能力の拡張と通信会社のせめぎ合いが見えるようだ。

ただ、旧態依然とした専売公社的な発想しかドコモができないようならば、
今回がドコモとしての最後の機種変更になる気がする。
日本のケイタイにはもっと人間寄りのデザイン、
ソロバンや包丁やカンナのような発想があってもいいと思う。

2006年2月10日金曜日

人間の風景


毎年2月になると決まって出かける土地がある。

山形県最上郡金山町。
奥羽山脈と秋田県境の山地に挟まれた土地はこの季節は豪雪に包まれ、 東北生まれとはいえ雪の少ない土地に育った人間には別世界である。
向かう谷口集落には雪に埋もれそうな木造の旧分校があり、 「四季の学校」と称して農村体験や心づくしの宴が開かれるのだ。
そこにたどり着くには危険な雪道を長距離運転していかないといけないのだが、 なぜか冬のこの季節、5年間一度も欠かしたことがない。

風景の素晴らしさ、地元の人々の温かさに魅せられ、 知らない知人に何とか魅力を伝えようと手を尽くすが、 僕の誘う言葉や写真では力不足で唇が寒くなる。
結局の所、半ば強引に、半ば騙すように引っ張っていくのであった。
従って、騙されて連れてこられた友人達がどんな感想を持っているのか、 宴が始まっても気がかりでならなかった。
今回はアウトドアに興味がない家族を連れていったので尚更である。

ところがその家族がついと朝の散歩に出かけ、雪まみれになって帰ってきた。
外は前夜降り積もった新雪が静かに輝き、時折り舞い散る雪が空に煌めいていた。

帰り道の車内で、彼女はつぶやくように散歩の感想を話した。
「すごい静かだった。 けっこう遠くまで歩いていったんだけど、 廻りに誰もいないのに、ちっとも寂しくない。 不思議だね。」
僕は即座にその問いに答えることができた。
「それはね、きっと何気なく見ているこの里山や田んぼや道の風景が、 長い時間と多くの人の手を経て出来上がったものだからなんじゃないかな。 そして今も、体の一部のような感覚で、山を整備し、畑を耕している。 『心』が何気ない風景にとけ込み、それに包まれているから寂しくならないと思うよ。 逆に人もいて、多くの視線に曝されているのに街や近郊の風景はなぜか寒々しい。 省みられぬ風景ほど寂しいものはないってことだろうね。 それは人も風景も一緒だな。」

 夕闇に浮かぶ仙台のビル群のシルエットを見ながら、 僕たちはつかの間の旅の温もりを胸にそれぞれの家路を走った。

2006年1月10日火曜日

つくり初め


ここ数年、木版画で年賀状を作っている。
そして今回も明けて元旦からの製作となった。

一年に一度の版画づくり。
昨年はプライベートで記念すべき年となったので、4版刷りと気合いが入る。
元朝参りもそこそこに、ただ一心不乱に下絵を描き、板を彫り、バレンでこすり続ける。
日が昇りあっという間に西に沈み、雪がどっと吹いては、太陽に溶けていく滴の音を聴いた。
そして気が付けば外出せぬまま正月休みの殆どを使い果たしてしまった。
もったいない時間の使い方だが、僕はずっと幸福な気分に包まれていた。

 人とは会えなかったが、板や彫刻刀やインクと話した。
 正月映画は観なかった、自分の内なる世界とじっくり向き合えた。
 遠くには行かなかったが、ものづくりの奥深い道程を知った。

稚拙で、自己満足な行いには違いないけれど、新年の初めに書き初めならぬ「つくり初め」をしたわけで、ものづくりの端くれとしては価値ある時間を過ごせたように思う。
そして明けて知るのは、いかに僕たちの生活というのは真逆の「消費」の世界に包まれているか、という窮屈な事実であった。
正月は地獄の釜が開いているといって、松の内は派手に振る舞うことを慎んだというが、ものを買いあさり、美食大食を貪るような人の姿を見ると、坂本龍一が新年のラジオで呟いた「消費者という名の奴隷」という言葉が眼前にちらつき、思わず背中に寒いものを感じてしまう。

アーツ&クラフツ運動の提唱者、ウィリアム・モリスは遙か昔に大量生産品の粗雑さに失望し、手業の復興から人間性の復権を目指したという。
その思いは「版画づくりの荒行(笑)」を終えた私には親戚の叔父さんの言葉のように身近に感じられる気がした。

いつまで続けられるか分からないが、次の年も、そのまた次の年も版画を彫ろうと思う。
でも肩コリが辛いのでせいぜい2版にとどめます。