2007年3月7日水曜日

無垢考


 芯まで本物の素材を「無垢材」という。 なぜ「無垢=手あかのつかない=汚されていない」というのだろう。

 僕の設計した建物はなるべく素材そのままに使う。 無垢だけど、傷つきやすいし、汚れやすい素材ばかり。 便利グッズみたいな新建材より、 それらは加工に手間がかかるので、そう高価な素材も使えない。 和紙とか鉄とか木とか、一応保護材で処理するけれど、 平気で汚れたり錆びたりする。 維持するためには大掛かりな装置が要らない代わりに、 普段の手入れが必要になる。
 それでもテフロン加工とかされたものとか光触媒とかに比べれば、 時の経過の痕跡は残りやすい。 設計も決してラクではない。 なぜ好んでその様な素材を使うのだろうと暫し黙考。
 健康に良いから?味わい深いから?安いから?・・・永久に建物に封印する判断としては、どれも決め手を欠く。

 理由を探すならば、・・・むしろ傷つきやすく、汚れやすいから良いのである。 それは人も同じだと思うから。傷つかず、汚れない人間と話しても会話にならないだろうし、接しても心は融け合わない。上辺だけのキレイな顔をはがしたら、全く違う顔が隠れていたなんて、 そんなヤツは信用できない。仮に表面の加工技術が進み、眼はごまかせるようになっても、他の五感全てをだますことはできない。むしろ目では木に見えても匂いはプラスチックではその違和感の方が気持ち悪い。
 傷や汚れは人の痕跡、しるしだ。僕はデザインに迷うとき、まだ出来ていない建物の終局の姿、つまり朽ちても廃虚になっても美しい姿になる方向を選択している。


 やっぱり木は木で、プラスチックはプラスチック、 鉄は鉄、石は石のままであってほしい。


  嘘をつかず、揺るがない。 汚れても傷ついても年をとっても正直であることを恐れない。 きっとそれが「無垢」の意味なんだろう。 何か人付き合いにも通じそうな話です。

 僕ならそんなモノ達に囲まれて同じ時を刻みたい、と思う。

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