2009年3月10日火曜日

「ピランデッロのヘンリー4世」評


えずこホールでの串田和美×白井晃による「ピランデッロのヘンリー4世」。
友人からのお誘いで夫婦で出かけた1年ぶりの観劇であった。

魅力的な役者によるとても知的な芝居で、スタジオを連想させる白いスクリーンを使った舞台と、衣装を幻想の象徴として使っていたのが印象的。ストーリーは狂った主人公が演じるヘンリー4世の劇中劇を中心に進み、演劇という虚構の世界に、情報過多な現代社会を投影したまるで入れ子細工の様な少し複雑な内容。その虚構という演劇の醍醐味をたっぷり味わえつつ、中世の物語を観客一人一人の歴史と結びつけるような白井晃の演出と構成は非常にうまいと思う。一方で、西洋の個の概念で説く狂気と、日本の「滅私」や「無」という個の概念とをどう折り合いをつけていったのかが今一歩不明確であり、海外の原作ゆえの限界とはいえ、「演劇好きの芝居」を越えられなかったことが惜しまれます。

しかし「虚構で構築された世界」に立脚して、今の我々は生きている、という事実。

その虚実の正否を求めることは無意味であろう。例えアニメの人形に囲まれた青年にとってもそれが現実であるように、人は歴史という物語の衣を自分の好みに応じて身に纏っていく。それは自分という内面を確かめるために己の観念をはぎ取っていっても、最後は「無」であることが予感されるように。
今の時代の悩ましい所はその紡いでいた物語の衣が破れ、日常という舞台の上に役どころを失って立ちすくむ者たちの群像劇であることだ。断絶した世界を持つ者同士による不幸な出会いの象徴が、クライマックスの惨劇に込められているのだろう。狂気と正気が交差したその刹那、私には夢想した青年が起こしたいくつかの事件を連想させた。
芝居は原作に沿った悲劇的な結末であったが、それゆえに「虚構の世界の断絶」を乗り越える、何か救いのようなものも欲しい気もする。

こんなやっかいな時代に我々は新しい「物語」を刻んでいかなくてはいけない。
それはイノセントな無垢の生地で織りなす画一的な衣装を纏うのではなく、できることなら他者の物語の一片一片をちりばめた端縫い(パッチワーク)の衣装であって欲しい、と思う。

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